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良い判断と悪い判断の線引きとは? 後悔しないためのマインドセット

「あの時、他の道を選んでいたらよかったのかもな…」

生きていると、時に過去の判断に対して後悔の念を抱くことがあります。もっと良い判断があったのではないか、自分が下した判断は悪かったのではないかと後悔することもあります。

人生は選択の連続です。過去に自分が下してきた無数の選択の結果、今の自分があるとも言えます。

この判断の良し悪しについて学びとなる書籍に出会いました。

改めて、人生を生きていく上でどう判断していくべきなのか、後悔しない生き方について考えます。

判断の良し悪しをどう考えるべきか?


「今の自分の人生に後悔はありませんか?」

こう問われると「ない」と言い切れる人は少ないのではないでしょうか。今の状況が望まないものだったとしたら、そうなってしまったのは選んだ仕事や学校、パートナーなどを選んだ自分の判断のせいだと考える人は少なくないでしょう。

この判断の良し悪しについて枡野俊明さんの著書「悩まない禅の作法」という本に役立つアドバイスが掲載されています。この本は悩みの構造や、悩まないための工夫がぎっしり詰まった一冊です。文庫なので読みやすく、オススメの一冊です。

この本の中で枡野さんはこう断言されています。

この世に「良い判断」も「悪い判断」もありません。なぜなら、どちらの道を選ぼうと、その後の自分の生き方次第で、人生はいかようにも変わるからです。

なるほど納得できるアドバイスですね。良い、悪いと判断しているのは「現時点で」という前提が隠れています。一時的に今が望まない状況だったとして、それを招いた過去の判断を「悪い」と評価するのは、未来がこれからどうなるかが見積もりに入っていません。

これからの行動次第で、過去の判断の意味が変わってくるということはあり得ます。このアドバイスを目にした時、「人間万事塞翁が馬」というお話を思い出しました。中国前漢時代の書物『淮南子』の人間訓に由来する故事成語です。

「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」
昔の中国のお話。ある塞(砦)に近いところにおじいさんとその息子が住んでいました。ある日、おじいさんの馬が遊牧民族の地へ逃げていってしまいました。周囲の人が馬がいなくなったことを悲しんでいるだろうと思いました。
しかし、おじいさんは「いやいや、これが幸福になるかもしれないのだよ」と笑っています。
そして、数ヵ月後その馬が逃げていった地の良馬を連れて帰ってきたのです。
しかし、おじいさんは「もしや、これが不幸の元になるかも知れぬ」と心配そうです。
おじいさんの言ったとおり、その連れ帰ってきた馬に乗っていた息子が落馬してしまい、股(もも)の骨を折る大怪我をしてしまったのです。
それでも、おじいさんは「もしかしたら、これは幸福だったのかも・・・」と言います。
その年、おじいさんたちの近くの砦に突如敵が攻め込み大きな戦が起こりました。
その砦の周囲の若者は戦に借り出され、その殆どが戦死してしまいました。
しかし、そんな中おじいさんの息子は骨折していたために戦に借り出されず、無事に生き残ったのでした。


このお話は「何かが起こった時、一見幸福でも後の災いに、一見災いでも後の幸福になることがある。人間の幸不幸は解らないものである」という学びを教えてくれます。

この話のように、その瞬間その瞬間で過去の判断の良し悪しはコロコロ変わるものです。このように「未来は予測できずに変わっていくもの」という前提に立てば、過去の判断に対して良いか悪いかを考えることに大した意味がないことがよくわかります。

後悔しないためのマインドセット

人生で何らかの成功を収めている人は、自分の進む道を信じて、一心に努力を続けることができた人達です。彼らは、一様に「あの道を選んだから今の自分がある」と自分の人生を振り返ります。こうした、過去の自分の選択を肯定できる人は、仮に別の選択をしていたとしてもまた別の道で成功を果たしたと思います。

逆に自分の判断を「悪かった判断」だと嘆き、自分の境遇を過去の自分や人のせいにしている人は、本当に今やるべきことに力を注ぐことができず、「今」が疎かになりがちです。今が疎かなので、未来に向けても自分の望む人生を歩んでいくことが難しくなります。

枡野さんは著書の中で「禅ではすべての物事が絶対である」と説きます。この言葉の意味するところは「良い」も「悪い」もそれは人が勝手に決め付けているだけのこと、という意味です。つまり、「判断することから離れましょう」ということです。

「大道通長安(だいどうちょうあんにつうず)」

これは禅語で、意味は「どの道も幸せに通じている」という意味。そして、どの道を通っても真理(悟り)にたどり着けるという意味でもあります。とても勇気をもらえる言葉ですね。

つまり、人生の岐路や判断の分かれ道に立った時、どの道を選んでも「正解」ということです。大切なのはどんな判断をするかよりも、判断した後にどう生きるかということです。下した判断に対して、自分がなすべきことを、真摯に取り組む。そうすることで、結果として自分が選んだ道が「良い判断」になっていく。これが真理なのではないかと思います。

まとめ

日々生きていると判断に悩むシーンは確実にあります。その瞬間は思考をフル回転させて自分なりの判断をすることが大切です。しかし、その判断に実は良し悪しはありません。もっと言えば下した判断は全て正解です。大切なのはその先の行動。その行動次第でその判断が良くも悪くもなるということです。

人生は長いです。今の自分とって「悪い」状況でも、それは未来の「良い」状況につながる伏線なのかもしれません。

視野狭く自分の今を過小評価せずに、できるだけ大きなスケールで自分の人生を捉え、「全ての判断は良い人生につながっている」と考えて、今目の前の道を一生懸命歩いていきたいですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。





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やわらかメガネりょう
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