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FEZ一回忌

日々を漫然と過ごしていたらいつの間にかFEZのサービス終了から一年が経っていた。今日で丁度一回忌らしい。

サービス終了当日はひどく陰鬱な、真冬の夕暮れの日差しのように鈍く荒涼とした気分だった。
しかし、FEZがなくなっても今日まで変わらない日常が続いているばかりだし、日常に支障をきたすことは勿論なかった。それどころか別のゲームに熱を上げていてFEZのことなんてすっかり忘れてしまっている始末だ。僕にとってのFEZはその程度の存在でしかなかったことに気付かされる。

サービス終了当日はひどく感傷的なnoteを書いた気もするが、感傷的な気分も寝て起きたらすっかり消えてしまっていた。想像していたよりもずっとFEZがなくなることへの喪失感はなかった。よくよく考えてみればネットゲームなんていつかは終わりが来るものだし、それがいつ来るかの問題でしかなかったのだ。

しかし、それでも、FEZは間違いなく僕の青春だった。

12年前の晩春、中学3年生のゴールデンウィークに友達に誘われて家の共用パソコンにFEZをインストールした時のことを今でも鮮明に思い出すことができる。
夕暮れの薄暗いリビングで、子供が使うには少しばかり大きいディスプレイに浮かぶ「Fantasy Earth Zero」の文字と、陽気で特徴的なトランペットのBGMに触れた時の衝撃は僕の宝物だ。

彼らはおっかなびっくりパソコンを触る僕に「こっちの世界も怖くないよ」と優しく語りかけてくるようだった。まるで初夏の木漏れ日のようなきらきらとした温かさと優しさだった(メルファリアが全然優しい世界ではないことを知るのはもう少し後の話だが、余談なので割愛する)。
初めて触るパソコンゲームは何もかもが新鮮で、幼い僕の瞳には眩しいくらい美しい世界に見えた。当時ですら古臭かったはずのグラフィックは、近未来的でハイセンスなもののように思えたし、「W」キーを押すと前進する自分のアバターに心が震えた。
あの時感じた、「俺の人生は今始まったんだ」という、有頂天を超えた高揚感はあれ以降一度も味うことができていない。

当時はへたくそで平均して5kくらいしか出なかったけれど、仲の良かったクラスメートたちと部隊を作って騒ぎながら戦争に行った。夜毎Skype通話をしながら戦争に行くのが僕らの最高の遊びだった。
みんな日に日に成績が落ちていったけれど、誰もそんなことは気にしない。当時の僕らにとっては成績が低迷することは大した問題でもなかったし(中高一貫校だったこともあるだろう)、目の前の快楽と友情を優先することが絶対的な正義であると疑いもしなかったから。

今でも部隊の何人かと繋がりがあるのはFEZのお陰だ。

年に一度くらいの頻度で会うが、仕事や社会や政治の話の後に必ずFEZの思い出話になる。
部活をサボって部活をした話や、期末テストが終わったら教室で遊ばずすぐに帰宅して戦争に行った話、始業式前日に午前4時過ぎまで戦争に行ってしまったためにみんなして遅刻した話や、文化祭の準備中に余った段ボールで短剣を作った話、仲間内で城崎温泉に卒業旅行に行った話———。

僕らはいつまでも、何歳になってもこの話をするだろう。みんなが結婚しても、子供が生まれても、会社の役員になっても、還暦を迎えても、この話をするだろう。
思い出話を語りつくしてしまって同じ話を何度もすることになるだろう。どんどん短くもなっていくだろう。しかし、僕らはFEZの話をやめることはない。FEZは僕らの青春そのものだったから。

中高生の頃、躍起になって青春っぽいことをしようとしていた記憶があるが、どんなことをしていたか思い出せない。学校の授業で先生の話に感銘を受けたのを覚えているが、どんなことを話していたか思い出せない。高校生の頃には恋人がいたはずだったが、何と呼んでいたのかも、声も背丈も思い出せない。
しかし、みんなでFEZをしていたあの時間だけはありありと思い出せる。青春というのはこういう思い出のことを言うのだろう。
だから僕らはいつまでもFEZの話をやめることはない。

真夏の日差しみたいにギラギラした鮮烈な思い出だけが青春を名乗れるわけではないということに、最近になってようやく気が付いた。
僕らは大切なことはいつも後から気付くようにできている。その時に気が付いていれば、という後悔を繰り返して僕らは大人になっていく。
これ以上大人にならないことを願うばかりだ。

余談だが、部隊は痴情の縺れで高校2年の晩秋に吹き飛んだ。友情とは得てして壊れやすいものである。

寂しい。

高校3年の立春、「こんなゲーム絶対来年には終わってるわwwwwwwwww」と友人と笑いあったのが思い出される。心の底からの言葉ではなかったけれど、それでも限りなく近い将来にそうなる確信めいた予感があった。
しかし僕らの予想は外れ、それから7年半もの間サービスが続いた。よく頑張ったと思う。ただ、我儘を言うなら、あと3年くらい頑張ってほしかった。

20代の終わりと共に僕らの青春が終わってほしかったから。


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