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姉に捧げる手記(再掲)

もう長いこと更新していなかったwordpressを漁っていたら、3年ほど前に姉が札幌へ移住すると聞かされた際に書いた手記がでてきた。
何かの記念なのでnoteでも公開する。

以下、手記の全文。

親愛なるお姉様へ。

貴女は僕がこんなブログを書いているとは知りもしないでしょうから、思いの丈をここに記すことにします。
4つ年下という事もあり、普段は貴女に頭が上がらない僕ですが、ここは貴女の目が届きませんから好き勝手書かせてもらいますね。

貴女には今までたいへん迷惑をかけられたと共に、たいへん迷惑をかけたように思います。

4年前の秋、カープの4位が確定した日の深夜に貴女が泥酔した勢いで破壊した僕のノートパソコンのモニターはついに直ることはありませんでしたね。
当時の僕は家賃を払うことすらままならない貧乏学生だったので、修理に出せないのは仕方がないことでしょう。しかし、壊した張本人が「覚えていない」という理由で修理代を出し渋るのは意味がわかりませんでした。そもそも貴女はお酒で記憶が飛んだことなど1度もなかったでしょう?

粘り強く交渉した結果、ついに新しいパソコンを貴女に買って貰った訳ですが、まさか壊した3年後になるとは思いませんでした。3年間ボロボロのモニターを眺め続けた僕の気持ちなど貴女は知る由もないのでしょう。
もう2度とお酒は飲まないでください。

そう言えば、あんまりにも僕が貴女と遊びに行くので彼女に浮気と間違えられたことがありましたね。あれには閉口しました。
貴女が弁明すればするほど彼女はこちらに疑惑の目を向けてきたものですから、貴女に黙ってろと叫んだのはいい思い出です。
僕と貴女は顔も性格も全然違うので、姉弟だと信じてもらえなかったので仕方の無いことですが。

貴女はひとしきり弁明したあとは知らぬ振りをしていましたね。あの時の話になる度に彼女は貴女の事を本当によく分からん人だとボヤきます。
あれ以来彼女は頑なに貴女に会おうとしません。本当に何てことをしてくれたのですか。

僕の自転車をピンクに塗ったもの貴女でしたね。
僕が四畳半神話大系が好きと言ったから、気を利かせて塗ってくれたのでしょう。ありがとうございます。
とっても嬉しかったので、みんなに自慢したくなり、鴨川デルタに展示してきました。

皮肉ですよ。

された行いに対する恨み言を書き連ねてはいますが、僕が貴女にかけた迷惑はこれよりももっと多かったと記憶しています。

僕が1回生の夏に僕が体を壊して倒れた際、貴女は有休がないのに仕事を休んで看病してくれたことがありましたね。

体調が快方に向かい、貴女の作ったお粥を食べていた僕を炬燵机の向こう側から眺める貴女は「ボーナスが減った」とボヤいていましたね。
頬杖をつきながらボヤく貴女はどこか楽しげで、誇らしげだったことを覚えています。
あの時「ほな仕事行けばええやん」と罵声を浴びせてしまったことは、今でも悔恨の種です。本当にごめんなさい。
本当は凄く凄く嬉しかったのです。貴女の親切さが嬉しかったので、ついつい天邪鬼な態度をとってしまったのです。

今から思えば、生まれてこの方貴女には迷惑をかけっぱなしのように思います。

前述の体を壊した時のこと。精神を壊して通院することになった時、病院代をずっと払ってくれたこと。父に仕送りを廃止された後、折に触れて送金してくれたこと。木屋町で潰れた僕を枚方からわざわざ迎えに来てくれ、今出川の下宿まで送り届けてくれたこと。今でも家族に僕が喘息を再発させたのを黙っていてくれること────。

貴女に迷惑をかけたことを挙げ始めると枚挙に暇がありません。
僕はこれまで貴女に甘やかされて生きてきたことが思い知らされます。

貴女が結婚してもう3年になりますし、僕に姪が出来てからもう2年が経ちます。

今でも変わらず僕を気遣ってくれるのは大変ありがたいですし、心の支えになっています。僕が精神を病みながらも留年せずに大学を卒業できたのはひとえに貴女のお陰でしょう。

そんな貴女が義兄さんの転勤で札幌に行ってしまうのはたいへんに悲しく、寂しいものです。
今ここで告白しますが、今月の中旬一時的に喘息が悪化したのは義兄さんから今月の末に札幌に家族で転勤するという話を聞いたからだと思っています。このことは事実かどうかもわかりませんので、貴女に打ち明ける気はありませんが。
まあ、どうにも恥ずかしいのでこのまま墓場まで持って行くつもりです。

この件で僕は改めて貴女の重要性を思い知りましたし、生来22年と少しの間続けた姉への依存を再確認することが出来ました。
僕ももう子供ではありませんから、いい加減姉離れをしなければいけませんね。とっくの昔にしたつもりだったのですが、貴女が言う様に僕はまだまだお子ちゃまだったのでしょう。
可愛い姪の顔が見れなくなる事も寂しさを加速させる要因かも知れませんがね?

貴女の明朗さは僕にとって何にも変え難いものです。僕と波長が合う人は余りいませんから。
昔から貴女も僕も喧しく、母から「やかまし姉弟」と揶揄されたのもいい思い出です。まあ母は今でも「やかまし姉弟」と呼んでいますが。

2人でチャンバラなんかしてふざけあっていた中学生の頃を、今では懐かしく思います。あの頃からお互い1つも大人しくなれませんでしたね。
お互い身も心も大きくなったはずですが。人間は根っこは変えられないものなのかもしれません。

この子供じみた性格の故に、お互い職場で妙な渾名を付けられてしまいましたね。
名前をもじって「やかまし」と渾名される貴女を笑っていたら、僕は「クソガキ」というたいへん不名誉極まりない渾名を付けられてしまいました。貴女に報告すると顎が外れんばかりの大笑いをしていましたね。
やっぱり僕達は姉弟のようです。

この子供じみた性格のお陰なのかは分かりませんが、2人とも恋びとに恵まれたのは物怪の幸いというものでしょうか。

……そう言えば未だに妹氏には彼氏が出来ませんね。女子大なんぞに行くからでしょう。

血反吐を吐く思いで就職できた仕事を辞して義兄さんに着いて行くという貴女の決断を僕は止めません。
貴女はどこでも上手くやっていけるでしょう。22年間貴女の弟をやってきた僕が言うのですから、間違いありません。
しかしお姉ちゃん、盆には母さんに顔を見せた方がいいと思います。母さんは僕以上に貴女を心の支えにしている節がありますから。
せめて盆と正月には顔を見せるようにしてくださいね。

長々と失礼しました。月並みではありますが、これを別れの言葉にさせていただきます。今までありがとうござました。札幌に行っても頑張ってください。
僕は京都で踏ん張って生きますので、心配しないでください。

令和元年7月26日
 愚弟、雅より


追記(令和4年11月7日)
筆者はこの半年後に精神を壊して職を辞すことになる。人生2度目の適応障害であった。


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