生き悩む人14

noteで日記をつけていて、論文だと結果に当たる部分の言語化ができないことが悩みです。
経験を通して、それが何を意味したのか、良くするためにどうしたらいいのか、そこが明確にできたら楽になるんじゃないかな、というふうに感じています。

日本画を学びはじめて、画像や動画資料を参考にせずに自分の肉眼で見た世界を描くことの尊さを知ることができました。
田舎の実家に帰って、野性の栗や、どんぐりや、もう時期が終えそうな彼岸花だったり、見頃の金木犀が、日中と早朝の朝焼けの時とは空気も、温度も、湿度も、光も、水分も、いろんなことがフィルターを通さずに伝わってくるものがありました。
土を耕して、犬の散歩に言って、庭の花や、犬のスケッチをして、小さな子供と関わって、馴染みのある道を散歩してみて、見方次第でささやかに思えていたことが、どれだけ贅沢なことで、恵まれていたのかを実感しました。
田舎では、道路でイタチや猫が轢かれて死んでいたり、残酷な部分や、自然の持つ威圧感を感じることがあります。
人が植えた木が生えそろう森で、黄色い蝶が隙間を飛んでいるのをみて、森の生きている感覚を自覚しました。
森の中には、虫や、動物や、死骸が、想像しているよりも現実として存在していることを知ることができたことが、これまでみていたものを思い出させてくれました。
藪に入れば人は虫に噛まれますし、田舎は大きな蜘蛛が至る所にいます。数も多いです。けれど、自然が近いところにあること、原風景と呼ばれるものが残っていて、そこには今生活している人も、過去の生活していた人の雰囲気も、これからその土地で生活していく人もいます。
生きているということは、終わりの期限があるなまもの1人の人間という自己を再認識することができました。
最近技術面ばかりに焦点を
当ててしまっており、その先の表現したいものが見えてきたことが嬉しかったです。

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