見出し画像

おばあちゃんたちが教えてくれたご機嫌なおしゃべりのコツ

40代も半ばを過ぎて驚くのは、この歳になってもなお、自分が知らなかったことや新たに学ぶことがいくらでもあるということだ。

特に、イエナプラン教育という理念に基づく小学校に子どもが入学し、東京から地方に移住した5年前から現在までは、私の中で最も多くを学んだ期間のひとつだと思う。

初めての大部屋での入院

先日は、生まれて初めて手術を受けるという経験をした。

手術そのものはリスクも低く主治医も慣れているだろうと安心していたけれど、入院生活の想像がつかなくて不安だった。

手術前日から入院し、術後の状態によって2泊か3泊になるだろう、とのこと。「大部屋で良いですよね?」と聞かれ、2〜3泊なら余計なお金を払って個室にするまでもないだろうと同意した。

これまで唯一の入院経験は出産のときで、個室だった。大部屋と聞いて思い出すのは、私が小学生のときに癌で亡くなった母の病室だ。はっきりとは覚えていないけれど、いくつかのベッドが部屋の両側に並んでいて、お見舞いに行くと母以外の入院患者さんから話しかけられることもあった。

話しかけられれば礼儀正しく返事はする。でも聞かれたこと以上のことはしゃべらない、そんな人見知りの小学生だった私は、今もって社交が苦手。誰かと打ち解けるのにはすごく時間がかかる。今回の入院に向けては、同室の皆さんに「おはようございます。よろしくお願いします」くらいの挨拶はしなきゃね、とちょっと緊張しながら病院に向かった。

ところが、案内された病室は4つあるベッドの周りにそれぞれカーテンが引かれていて、中に人がいるのかどうかも分からなかった。そのひとつに入ってしばらくは物音も聞こえず、「これって個室と変わらないのでは?」と思った。

出会った瞬間からおしゃべりに花を咲かせるおばあさんたち

「個室と変わらない」という認識が間違いであることは、すぐに分かった。

間もなく、新たな入院患者さんが別のベッドに案内されて来た。看護師さんが色々と説明する声がはっきり聞こえる。それに応答する声で、高齢の女性だと分かる。カーテンがぶら下がっているだけだと声が筒抜けなのだと、このとき気づいた。

入院の説明を終えた看護師さんが出ていくと、不意にこんな声が聞こえた。

「こんにちは! アンタ◯◯なの? 私もよ! 一緒だねぇ!」

新しくやってきた患者さんに対し、その向かいのベッドにいた患者さんが話しかけている。さっき病室に入ったときには閉まっていたベッドの周りのカーテンを、その人はいつの間にか開けていたようだ。

私は相変わらずぴっちりカーテンを引いたままなので見えないのだが、たぶんそれぞれのベッドの上に座って、その距離のためか耳が遠いからか、かなり大きな声での会話が始まる。しかも2人とも滑舌が良くて、会話の内容がクリアに聞こえてきた。

5分も立たないうちに、ふたりには稀な共通点があって、どちらも70代後半で、夫に先立たれて今は一人暮らしをしているということが分かった。その後も、「ねぇ、兄弟はいるの?」とか「息子が近くに住んでて…」とかの身の上話が続き、個人情報ダダ漏れ状態だっだ。

唐突に話しかけたって良い(相手と話したいと思うなら)

今回の入院で、私は2つ大事なことを学んだ。

ひとつは「おしゃべりは、急に脈絡もなく始めて構わない」ということ。

2人のおばあさんの会話は、ふとした瞬間に途切れて静かになる。そしてしばらくすると、ふいに再開する。

「ねぇ、どこに住んでるの?」とか「ねぇ、家では料理する? 私はひとりになってからはほとんどしないよ」とか、「ねぇ + 質問」で始まることが多かったけれど、「あぁ、◯◯ちゃん(犬の名前)に会いたいわ〜」みたいな形で始まる会話もあった。

私は、今日初めて会った人に脈絡もなく話しかけるなんてとてもできない。

脈絡があればできなくはないのだ。最初に自己紹介をしたら、しばらくは相手について質問したり自分についても説明したりという会話を続けられる。相手と自分の目の前で何か事件が起きたり、その場で口にしたものが美味しかったり、そういう「話のネタ」があれば、それをきっかけに話し始めることもできる。でも、そういう脈絡のある話題が一段落すると、あとは何を話したらいいのか分からなくなってしまう。

あえて話したいわけでもない相手ならそれでもいいけれど、もう少しお話したい、でも話の糸口が見つからない……というときもある。

向こうのベッドの2人の会話を聞いていると、ちょっと唐突に思われる質問やつぶやきでも、ちゃんと糸口になるんだな、と思えた。

必要なのは「私はあなたに興味があるから聞いているのよ」「あなたにこの気持ちを聞いてほしいのよ」という気持ちで、それこそが脈絡というか、相手に話しかける理由なんだと思う。

飾らず、批判はせず

大部屋では携帯の通話は禁止、テレビはイヤフォンで、と言われているのに、この大声での会話はいいのか……と最初は苦々しく思った。

夜中の2時や3時に「この時間に目が覚めちゃうのよ……」「私も!」とか言って、和気あいあいと話をするのも勘弁してよと思った。

でも、予期せず友ができたことが嬉しくて盛り上がっている様子が可愛くて、2人のおばあさんのことを全然憎めない。おばあさんではなく、おばあちゃん、と呼びたい感じだ。

人の会話が耳に入ってきて、なんだか嫌な気持ちになることって結構ある。おばあちゃんたちの会話にそういう感じがないのは何故だろうと考えてみると、ひとつには自分を飾らずオープンであること。そして、相手や第三者のことを批判したりしないということじゃないかという結論に至った。

2人はとにかく、相手のことを知りたいという気持ちで質問し合う。返ってくる答えを決して否定せず、「いいわね」「すごいじゃない」と褒めたり「私もそうよ」と共感する。その流れで「あら、そう。私はね……」と自分のことも語る。そのとき、何も自慢のような雰囲気はなく(今風にいうとマウンティングしたりせず)、かといって過剰に卑下するでもなく、ありのままを話しているように聞こえた。

自分たち以外のことは、親族くらいしか話題に上らない。亡くなった伴侶については辛口で、「この人ならいいかと思って結婚したけど、苦労させられたよ。なんにも良い思いさせてくれないで先に逝っちまってね〜」くらいのことは言っていた。

でも、人の悪口なんてこれくらい。ナースコールをしてなかなか人が来なくても、「看護婦さん、きっと忙しいのよ」と言うくらいで一緒になって文句を言ったりすることは一切なかった。政治だとか社会だとかに悪態をつくことも。そういう話が聞こえてきたら、きっと気分が悪かっただろうな、と思う。

聞こえてきて嫌な気持ちにならない会話。これはひとえにおばあちゃんたちの人間力、善良さによるものなのだと思う。けれど、自分を飾らずに素直に話すこと、誰かを批判するような話題を持ち込まないことは、誰でも真似できる楽しいおしゃべりの作法だろう。これが2つ目の学びだ。

なお、軽い雑談ではなくちゃんと議論できる場であれば、「批判も辞さず」の姿勢でいきたい。
他人が何かを批判している声が聞こえてきても、そこで深い議論がなされているのなら、嫌な気分になるどころか興味深く耳を傾けることもあると思う。
——という話は長くなりそうなので、またの機会に。

たまたま同室になった人生の先輩方から、自分たちも周りの人もご機嫌でいられるおしゃべりのコツを勝手に教わった。初めての大部屋入院での収穫だ。


いいなと思ったら応援しよう!