仮想世界で生きていくのやめようかな。(映画「プレステージ」を見た感想)

※このnoteはネタバレ含むのでまだ見ていないって方はそのまえに映画見たほうがいいと思います。
(一応ネタバレを含まない概要をサラッと書いておくのでそちらで興味を持ったら見てみてください。)

なのでこのnoteは既に映画を見ている人、多分一生見ることないと決意した人に向けて書いております。

どんなnote?

・プレステージっていう映画を見たよ(普通におもしろいよ)
・そしたら自我の存在をちょっと不安視したよ。(自分って本当に存在してるのかなー?みたいな)
・将来自分がロボットになるときの考えに影響を与えたよ。
・もしかしたら将来不意に自分の存在を自分で殺すタイミングが来るかもしれないから注意が必要だね。

こんな感じ。伝えたいのは最後の一文。もしかしたら将来殺す気もないのに自分を殺す可能性があるって気づいて、怖くなったってこと。
なんかこの辺の倫理観は将来議論されそう。
映画の内容も交えながらゆるりとお話します。

どんな映画か一言で(ネタバレ無し)

二人のマジシャンに関するサスペンス映画。
舞台は、19世紀末のロンドン。
かつて同師の下で修業をした二人のマジシャンが、ある事件をきっかけにお互いを邪魔しながら競い合っていく。

そして、マジックに憑りつかれたかのように没頭する彼らは、その当時替え玉を用意することしか実現不可能だった「瞬間移動」のトリックをめぐってさらに激しい争いをしていく。

さらりと書くとこんな感じなのですが、
クリストファー・ノーラン監督はこの二人の対決によって「自我」とは何なのか?的なところを描いていて個人的にはとても楽しく見れた映画なのですな。

ココからネタバレがあるよ

ということでここからはネタバレを含むので、まだ見てない!!って方はぜひ見てからこのnoteを見ていただければと思います。

とりあえず結論をネタバレ

この映画で重要なのは、この二人がそれぞれどんなトリックで「瞬間移動」を行ったのか。というところです。

・魔術師①ボーデン(クリスチャン・ベイル)

 ⇒実は双子だった彼らは、一人のボーデンという人間を演じ切り、瞬間移動しているように見せていた。(一方がボーデンを演じている時もう一方は助手として生きていた)
しかもマジック中の事故で片方がなくした指をもう片方が切断してまで他人を騙そうとする徹底ぶり(狂気)

・魔術師②アンジャー(ヒュー・ジャックマン)

 ⇒二コラ・テスラが作った「物質転送装置」を用いて、SF的な瞬間移動を実現する。(いきなりSF)
しかしその実は物質を単に移動させるのではなく、物質のコピーを作成し、目的地に複製を作成するというものだった


もちろん複製ができてしまうということは瞬間移動のマジックを行うたびに自分が2人になってしまうわけです。
そこでアンジャーはマジックを行うたびにコピー元の自分を水槽に沈めて殺害し、複数人になることを避けてわけです。

このnoteの主題とは離れてしまいますが、
この映画終始かなりリアルな描写を続けておりまして、
(例えば19世紀末のロンドンの描写とか、ニコラ・テスラの描写とか、どうやってマジックを成立させるかみたいなところ)
終盤になってこの物質転送装置を見たときに「えっ??この映画SFだったの??」っていう驚きが来るわけです。ここもクリストファー・ノーランの面白いところなわけですな。

(というか二人共マジックどんだけマジックにかける思い強いねん...)

この映画から考えたこと

今回僕が取り上げたいのは、この二人の狂ったマジシャンの中でも複製する自分を毎回殺していたアンジャーについてです。

僕は彼の行動から「本当に自分って存在してきたのか?」ってところと「将来自分の意識をネット上にアップロードした際の自分の主観」について考えました。

本当に自分って本当に存在してきたの?

みんな当たり前のように自分は存在してきたものだと思っています。
もちろん僕も僕の存在を疑わないし、これを読んでる人たちも「いや生きてるでしょ。ずっと生きてきた記憶だってあるし」っていう風に感じているわけです。

でもプレステージのアンジャーを見ても、まだ自分の存在を強く肯定できるでしょうか?

彼はマジックを行うたびに死んで、新しく複製された次の自分がこれからの自分として生きていくわけです。

どう考えても狂気にしか思えない彼の行動。
そもそも毎回元々の自分は死んでそこで意識が途切れてるんだから、そんなことしても意味なくね、、、?と思ってしまいます。
だってみんなからの称賛の声は今生きている自分では受け取れないし、もっというとそのマジックが成功したかどうかすらもわからずに水に溺れて死んでいく。

一見、狂気以外の何物にも思えない行動です。

でもよくよく考えると意識が途切れて次の意識が始まるなんてこと僕たちは毎日のように経験してるわけです。


睡眠で。


毎日寝て、起きる。起きた先の自分が今までの自分と同じかは分からない。
ただ他人から見たら今日も、明日もその人はその人にしか見えない。
これはアンジャーの状況と大差ないように思えます。

ただアンジャーと一点違うところは、「その行動を自分が意識して行っているかどうか」です。

つまり元々の自分の意識は途切れてしまうと知っているかどうか
アンジャーは自分はこのあと死ぬって知ってるけど、
僕たちは寝る前に自分の意識がどうなるかは理解していないから怖くない。
的なことだと思います。

はい。これはこれでいいんです。
多分僕たちが寝てる間に一回意識が途切れてるとか、
寝た後の自分は元の自分にあらずみたいなことを考えても答えは出ないと思います(少なくとも今は出せない)。

実際僕も寝たからって意識が途切れるなんて思ってません

ただ今後将来、自分の意識が途切れる可能性があると知りながらそういう選択をする機会が来るんじゃないかなと思ってます。

ヒューマノイドの世界観

は?いきなりヒューマノイド?ってなった人もいるかと思います。
ただ僕は将来人間は体の一部、または全部を機械化することがあり得ると思ってます
そしてその時に明示的に自分の意識を途切れさせるタイミングが来るんじゃないかなと思ってます。

あの『サピエンス全史』で有名なユヴァル・ノア・ハラリも人間の未来に対して書いた『ホモ・デウス』の中で将来人間はヒューマノイド化する、その時に人間はどこまでを人間とするか考えなくてはいけないという内容を記しておりまして、僕もその内容には同意しているわけです。

例えばこんなパターンがあると思います。
 1. 自分の意識をネット上にアップロードする時(ドラマUPLOAD的な世界観)⇒仮想世界で生きていく
 2. ヒューマノイドとして体の一部、または全部を機械化する際に、特に脳の機能を機械化する時⇒脳を機械で代替する

「脳にチップとか埋め込めて、そこで記憶とか管理できたら漢字とか覚えなくて楽なのにな〜」とか考えたことあると思うんですが、そういう世界観が将来生きてるうちに来るんじゃないかなと思ってるって感じです。

ここにどんな問題があるのか?

では実際にそんな機能ができた時のことを想像してみてください、多分一番最初にやった人がテレビとかで取材されてこう答えてると思います。
仮想世界で生きるのめっちゃいいよ!お腹好かないし、好きなことできるし!みんなやらない理由ないよ!!」とか
脳にチップマジでいいよ!記憶力とか超上がるし、人間超越した気分だわ」とか言ってそうですよね。

こうやって聞くと外から見てる分にはめっちゃいいな〜って思うんですが、さっき考えたアンジャーの件を思い出すと、一つ気がかりな事があるんですな。もちろんそれは「仮想世界で生きてるお前って、もともとのお前と同じ人間なの?」って点だと思います。

アンジャーの件と比較して考えてみましょう。
さっき僕はアンジャーは狂気だなとか思ってたわけですが、彼がやった行動はこんな感じの流れでした。
・マジックが始まる(前の世界)⇒複製作成(複製)⇒本体は水槽へ / 複製はお客さんの前へ(共存)⇒本体死亡(削除)⇒複製は喝采を受ける(後の世界

では自分の死後は仮想世界で生きてこう!と考えている人はどんな流れをたどるのでしょうか?
・脳の中身をスキャン(前の世界)⇒パソコンの中に脳のコピーができる(複製)⇒本人は生きてる / コピーはとりあえず保存されてる(共存)⇒本人死亡(削除)⇒パソコンの中のコピーがネット上で生きていく(後の世界

うん。なんにも変わらないんですな。
しかもこれ怖いのが、仮想世界で生きていきたいな〜って思ってる人が、すでに仮想世界で生きてる人たちにアドバイスを求めると、彼らは複製側の人なので「仮想世界めっちゃいいよ!!最高!!」って言ってくることにあると思います。

まあ君らはいいよね。
でもその前の人格はなんのメリットも享受してない、普通に死んでるから。
あるとすれば、遺族が悲しくないのと、新しい仮想世界の自分はずっと楽しめるってだけ
僕的には自分にメリットが無い選択肢に意味ないと思うわけですな。

しかも仮想世界の考えはまだマシなのかもしれません
即座に自分は死んでない(意識が途切れていない)ので、本体にも特に不利益はないんですが、ヒューマノイドとして例えば記憶媒体を脳からチップに変更しよう!って考えるともうちょっとやばさが増します。

・脳の中身をスキャン(前の世界)⇒パソコンの中に脳のコピーができる(複製)⇒本人は生きてる / コピーは保存されてる(共存)⇒脳とチップを入れ替え(脳の削除)⇒脳はいらなくなってチップだけで生きていける(後の世界

もはやこうなってくると記憶媒体を変えた瞬間から元の意識は消える可能性があるわけですね。

あな、恐ろしや。

ただただ便利な方向に世界を進めてみたいと思っただけで、人の意識が死んでいる可能性がある。しかもそれは誰にも気づかれない形で。

せっかく楽しみにしていた未来もちょっと怖くなってきちゃったよっていう感想でした。

もちろんまだ意識というものが体のどこの部分に存在するのか?それはどのような変更を行うと途切れてしまうのか?はわかっていないことのようなので、そのへんが解明されるとまた違った考えが出てくるのかな。

仮想世界、ヒューマノイド的なところがリアリティを持ち始めたタイミングでこのあたりの倫理観は議論されそうな気がするやっちょなのでした。

やっちょ

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