なぜ主務になったか
結論から言うと、競技だけやるより面白そうと思ったから。
ここでは、大学の時に主務になった話を書く。
高校の時は簡単にいってしまえば、競技力が1番低くてインターハイ路線で真っ先に敗退したからなので…。
学年で1人、1年生の冬の大仕事
高校生の時もそうだったが、大学の陸上競技部にマネージャーはいなかった。過去にはいたらしいが、私が在籍していたときはマネージャー専属の人はいなかった。
なので、各学年から1人主務を出すことになっていた。
みんな競技をするために入部しているので、どの学年も主務の選出は紛糾しており、1年の冬に決めるときには一時的に仲が悪くなる(笑)
選出するためにお互いの良いところ悪いところを出すし、手を挙げた人を時には「お前じゃない。無理だろ。」と辛辣な言葉とともに引き留めるからだ。
終わってしまえば、話した分だけ結束力は高まるのだが、精神的にはかなり疲弊する。
推薦されたが一度は拒否
正直な話、入部して半年の1年生では部の運営能力を見極める判断材料は無いに等しい。
とはいえ、主務=雑多な仕事もできる人という印象が少なからずあるので、1年生の雑務や先輩方との関わり方が判断材料になってしまう。
私は、高校がそれなりにきっちりしていて、タイム取りやビデオ撮影、こまごました仕事も叩き込まれていたので、大学での1年生の仕事は難なくこなしていた。
長距離ブロックに所属していたが、他のブロックの先輩方ともまずまず関わりがあった。
そんな事もあり、最初の多数決では(自分でも想定していたが)私が1番になった。
ただ、そんな簡単に決めるわけにはいかない。
高校の時は地方大会、インターハイで主務をやったが、大学では競技と学業に専念したいと考えていた。
なので、断った。
そして議論は白熱した。
主務と競技の両立の方が面白いかもな
ミーティングは毎週末から毎日のようにやるようになっていた
9月末頃から学年ミーティング始めたが、11月になっていたはずだ。
終わらないミーティング、誰もやりたくないから決まらないし、終わりも見えない。そんな状況だった。
いつ何でそう思ったのかは忘れた。
もしかしたら、自分が首を縦に降れば終わるから無意識にそこ逃げたのかもしれない。
高校の時、自分は負けたが、主務として一緒に戦ったチームが勝ち進むことに感じた喜びを思い出したからかもしれない。
主務をやるのも面白いかもな。
そう思った。競技だけでなく、主務もやり、もちろん学業も捨てない、二足の草鞋ならぬ三足の草鞋を履いたら大変だろうけど学ぶことは多いし、それを経験できる人なんて滅多にいないだろうな、と思った。
そして、言った「俺がやるよ」