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妊夫日記【0124】無意識の吹き溜まり

ジィジ(僕の父)が、平日のカミさんの検診の送迎に行ってくれるとゆう話の中で、今までエコーを見たことがないことを知った。僕は二人兄妹なのだが、幾度となくある検診の間、1度も見なかったとはと絶句してしまう。産院と台所は男性が入るもんじゃないとされていた時代、とはいえ、その前は自宅で出産していたわけで、なんだか昭和後半の父親とゆうのは、とても部分的に切り取られて、産まれたんだから父親になりなさいと、なかば強引に形成されたもののように感じてしまう。(思えば病院の廊下でうろうろしながら待っているようなドラマの描写なんか最たるものだ。あんなはじめの一歩からうろうろしててどうするものか)
初めてエコーを見ていた様子を聞いて、未知との遭遇とゆう印象を受けた。4人目の孫を抱くとき、ジイジの中でも新しい芽生えがあるかもしれない。
父親は、社会の無意識の吹き溜まりのようにして作られて来てしまったように思うのよね。出産を病院に取り上げられたのがその発端で、今でもまだ「出産に立ち会う」なんて言っている。一緒に産んだと、胸はって言おうよ。

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