【妊夫日記1125】姿の見えぬ舟を呼ぶ
週末にカミさんは学童の合宿へ。「妊娠してるのに大丈夫?」より、「子ども3人居るのに旦那さん大丈夫?」の声の方が大きかったそうな。らこは初めて母の居ない夜ではあったが、僕らの方は友人たちを招いてホームパーティ的な事をして楽しく過ごした。仲間の一人が展示即売会に初出展する、とゆうのを大義名分にした集まりである。北は宮城、南は大分から、関東のベッドタウンの一軒家に集まってきて、その夜は大人8人子ども3人で、やんやんつけ棒を食べたり、おでんやチキンを食べたり、一月早いクリスマスみたいな夜だった。(クリスマスもやるかもしれんけど。)
今年は機会があって、今回のような集まりも四度目くらい。縁あって、といえばそれ以外はないのだが、人が人に会いたくなるとゆうのはどうゆう事なのだろうかな、という想いが、この何日かのうちに何度も浮かぶ。とても楽しい事であるから、初めて集まった後は、いつまでこんな事があるかな?いつまでも同じでは居られないだろうな?と正直思っていたのだが、なんやかんやで気がつけば人数も増えて回数も重ねた。来年は子どもも増える。
家族とは、小舟に同乗する人たちだ。海のように広い、けれども終わりのある大河を共にいく。友人は、並走する舟だ。ゆっくりと流されるなかで、遥かな四方を見渡して、同じように流されていることを知る。時に意識して速度を合わせて距離も縮む事もある。嵐に会ってはぐれることもある。互いの短期的な目的の相違で離れることもある。
舟の舳先からヲーイ!と、姿の見えぬ舟を呼ぶ。結局は、僕がさびしがりなだけかもしれないが。いや、そうではない。確かに感じた、自分の中にある特定の心の機微に一瞬でも触れてくれたから、あなたの名を呼ぶのだ。
聞こえたら、狼煙を上げてくれ。
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