【妊夫日記1126】心に連れたあなたの動物は何?
昨日の日記で家族と友人の話を舟の話にしたことで、なんとなく、人生に漕ぎ出したのはいつだったのか、自分の親はどんな風にとらえていたのか、と、考えてる。子どもに対しては一人前になることをよく「巣立ち」と表現し、善いことのように語るけれど、本当にそうだろうか。僕はどうも「巣立たないこと」が、僕らの世代の親子に関しては最適解なのでは?と捉えている。新しい文化が必要だ。共同体の新しい形。四人目の子どもを生むことが「すごいね」と言われる社会を当たり前と思ってはならない。100年後の是を体現しなければならない。
最近、カミさんはけっけに、寝入り端の冒険をさせてるらしい。息子を主人公にしたRPG素話で、フクロウを仲間にして森のなかを進み、昨夜はカンガルーを仲間にして中国に渡ったそうだ。動物を仲間にする、とゆうのは桃太郎を筆頭に王道も王道の設定だけれど、インディオの伝承だったか、そこでも子どもはある時に、神隠しのように隣り合った異界に行き、動物をシンボルとしたパートナーを連れて帰還する、とゆう考えがあるようだ。恐らくは自我と自己の分離と、再獲得に関することだと思う。
僕自身、今の生活の中でも、山羊とコザクラインコがそれに当たっている。木彫りの彫刻を手に入れたことが切っ掛けだが、それを生き生きと動く存在にしてくれたのが、カミさんである。子どもはどうやっても血縁だが、実のところカミさんは他人だ。それが家族になる、とゆうのはオオゴトなのだが、舟の同乗時点でのお互いの取り組み方によって、他人としての境界が、他人であるからこその魔法(もしくは触媒)のように、僕の潜在的なイメージを動かす瞬間がやってきたわけだ。
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