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名古屋電灯を生んだ2人の尾張藩士

まちなか寺子屋「名古屋電灯を生んだ二人の尾張藩士」は、開業当時の発電所兼本社があった、現在の電気文化会館のほど近く栄ガスビルホールにて、ご自身も電力会社に勤められた経験もある中部産業遺産研究会副会長 浅野伸一先生の語りで紐解かれました。


激動の幕末、尾張藩も保守派と開明派にわかれ、維新の混乱のなか藩士達は職を失い、商いに不慣れな彼らの生活は困窮を極めていました。
そんな中、後に愛知県知事の招きで士族授産事業(藩士救済事業)を受け持つ保守派の丹羽精五郎と、西洋砲術や蘭学を学び日本の「化学」の祖となった開明派の宇都宮三郎の、全く異なる人生を歩んできたふたりの尾張藩士が、運命的な出会いをします。


偶然、丹羽の入居する借家の前居住者だった宇都宮、ふたりはすぐに意気投合し、夜明けまで語り合って交友を深めました。
そこで、元藩士達を救済する事業について相談する丹羽に、江戸や欧州で学び広い視野を持つ宇都宮は、電灯産業の可能性や、軌道に乗れば商いの不得手な士族にも働きやすい旨を助言します。
丹羽の甥がまだ珍しい電気技師だった事も手伝い、名古屋電灯はすぐに軌道に乗り、全国的にも珍しい士族授産事業の成功例となって、岐阜、豊橋、仙台等にも電灯技術のノウハウを伝えて、全国の家々に安全な明かりが灯っていきました。


「電灯産業の成功は、ふたりの人柄と人と人との繋がりにある」と語る浅野先生。
学んだ事を惜しみなく他者の救済に役立てる清廉で温かい宇都宮と、中央官庁にも勤務経験があり徳川家にも藩士達にもネットワークがある名調整役の丹羽、ふたりの出会いが多くの尾張藩士を救い、安全な光で名古屋の家々の夜を照らし、数えきれないほどの人達の未来を変えたと思うと、本当に胸が熱くなります。

皆さんは、自分の価値観を変えてくれた出会いを覚えていますか?
今回の講義も含め、やっとかめ文化祭の色々なプログラムとの出会いが、多くの方々のこれからに役立てたらと心から願っています。

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レポート: 近藤加奈子 写真:いとう


■レポートしたプログラム

https://yattokame.jp/2023/terakoya/2037.html


■まちなか寺子屋


■やっとかめ文化祭



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