自分の脳みそと向き合う記録2024年末~
2024/11/26
家から歩いて30分のところにあるメンタルクリニックに初めて行ってみた。
自分は発達障害だと思う。ついにその診断を受ける一歩を踏み出そうとしている。
今日は気分が良くて、外に出て歩くのが気持ちよかった。
なんでこんなに調子がいいのに、メンクリに行くんだろうと思った。調子が良くないと行けない、というのはある。
以前、近所の内科が心療内科も併設されているということで、行ったことがあった。
その時は、よく分からなくなって一度きりしか行かなかった。
今度はちゃんと通いたい。
と思ったけど、実際の初診は驚くほど事務的に済まされて、ほぼ問診票を書いただけ。
特に何を言われるわけでもなく、心理検査しましょう、だけで終わり ほんの数分の事だった。
小学生の頃、忘れ物が多くて、学校から貰った手紙を親に渡して、何か書いてもらって学校に提出する ということが全く出来なかった。計算ドリルや漢字ドリルなどの宿題も、ほとんど提出したことがなかった。
だけど何故か勉強が得意で、テストはいつも100点だった。
中学生になると、授業中酷く眠くなるようになって、体感半分以上の授業はずっと寝ていた。
あまりにも寝るので、常に教室の席は一番前だった。
一番前の席で熟睡していたので、廊下に立たされたことがある(本当に)。
管弦楽部に所属していたが、朝練にどうしても間に合うことが出来ず、8割以上は遅刻かギリギリで走って着いていた。
3年生になり、引退的な感じで朝練に行かなくて良くなってからは、朝のホームルームに遅刻するようになって、先生に本気で怒られたこともあった。
高校生になると、まともに授業に行かなくても出席が足りていれば大丈夫、というような入れ知恵もあり、本格的に授業にいけなくなった。午後から登校とかもよくしていた。
実際、面倒くさいからサボっていただけで、やろうと思えばちゃんと行けたのかもしれないけれど、少なくとも自分はそれが出来なかった。
高校の頃も思いつく課題の類は70パーセントくらいは提出しなかったと思う。課題を課されて、それをちゃんとやり遂げて提出するというプロセスが全くもって出来なかった。
高校の廊下には一人一つロッカーがあった。鍵をかけて管理できるようになっていたが、自分のロッカーはそもそもとにかくものを詰め込む形になっていたので、扉が閉まらなかった。
高校の頃の自分を知っている友人曰く、「あのロッカーを見たら貴方が健常者ではないとわかる」とのことだった。
大学は上手く行けなくて3年生の時、教育実習の途中でなんにも分からなくなり、休学することにした。
前半の教育実習が終わる時、担当教員に挨拶のため「お世話になりました。また後半もよろしくお願いします。」とのことを伝えるだけのことをしようとして、同期2人を先導して教務室に入るも、死ぬほど吃り散らかしてしまい、先生方に笑われてしまった。
ここから今すぐに消えたいと思った。
その後1年半休学して、2023年に復学したが、5月末くらいから全く大学に通うことが出来なくなり、なにかメンタルの病気かと思って大学の併設されている健康支援センターのようなところで診療をうけた。「あなたは鬱とか適応障害とか、そういうのではなくて、大学を辞めたいんじゃない?」と医者に言われた。その後退学した。
この本当にしょうもない人生の失敗が、自分の怠惰とかやる気のなさ、将来のことを考える力のなさ、根気のなさから来ているのはわかる。
ただ、自分がどうしようもない人間だからではなくて、そういう障害を持って生まれてきただけだったとしたら救われるはずだとずっと考えてきて、
いつか診断を受けようと思っていながら、ずっと後回しにしていた。
20代前半すら終わろうとしているので、ついに意を決して、ちゃんと病院で検査をすることにした。
心理検査は予約が全然取れないらしく、来年の3月とかになるらしい。
それを聞いて笑けてきてしまった。
また来年の3月に検査を受けたら更新します。
11/28
休みだったのでゆっくり起床。
起き抜けに先日の病院から電話が。
心理検査のキャンセルが出たので今日来れますか?という内容で、ちょうど休みだったこともあり急いで病院へ。
だいたい一時間から二時間くらいかけて心理士さんと話したり、検査のテスト(WAIS-IVって書いてあったと思う)を行った。
前回はその病院の医師(おじさん)で、話し方が妙に元気だったりでビビッてしまったが、心理士さんは賢そうな女性の方で話しやすかった。
(おじさんにビビってしまったり苦手意識があって、若い女の人とは話しやすいって、なんか嫌な傾向ですね……おじさんへの苦手意識をなくしたい。)
結果は12月に出るとのこと。落ち着いて一か月過ごせるといいな。