センシティブな表現についてぼくが思っていること
トップシークレットマンというバンドのアルバム「漫喫、レイプされた先輩へ」が人気だ。で、何故か今タイムラインで物議を醸してる。狭い狭いTwitterの中での話だけど、自分にとって大事な話題だ。
表現をする人間として、この表現ってどうなの?って考えないではいられない。
このnoteはこっそり公開する。
ただ自分の考えをまとめたい。
過激な、センシティブな表現は音楽においてはずっと付きまとうもので、昔から表現の規制と表現の自由はずっと戦ってきた。
性的な表現や反社会的、反権力的な表現は、それ自体が自由の象徴で、ロックやヒップホップとは切り離せないものだと思う。
日本でも、サザンオールスターズは卑猥な歌を歌っているし、神聖かまってちゃんや大森靖子などは歌詞にわりかし過激な表現を使って人気を博してきた。ヒップホップの曲には薬物についてのリリックを含む曲が沢山あるし、差別的な言葉をあえて使ったりもする。
トップシークレットマンはアルバムのジャケットに血まみれのように見えるM字開脚の女性の写真を使って、「漫画喫茶でレイプされた先輩(当時好きだった)から電話がかかってきた」という過去を歌にした。
自分はそれについて全く悪いと思わない。
どんな表現をしても自由だと思うし、どんな歌を歌ってもいいと思う。
当人にとって、それがどうしても表現しなくてはならない感情なら、それは音楽になるべきで、誰かに伝えられるべきだと思う。
ただ発信する人間が、受け取る人間が、それをオモチャのように扱ってしまったとき、悲しむ人がいるんじゃないだろうか。
人々が引っかかっているのはそこなのかな、と思う。
トップシークレットマンは「親にバレたくないバンド」というキャッチコピーで売り出しているバンドだ。
このコピーは商業的にすごく上手いな、と思う。
実際こういう過激な表現をして、過激な音像で、性的なことや自身のトラウマを歌った音楽は、「親にバレたくない」。しっくりくるし、「親にバレたくないバンド」をこっそり聞いて、そんなバンドを聞いている仲間と出会えたらワクワクするに違いない。
ただ、ちょっとこれはポップ過ぎないかな?と思う。「レイプ」や「自殺」のような強い言葉を扱った表現が、そうやって少年少女にアプローチするのってどうなんだろう?(それも表現の自由?)
ボーカルのしのだ はTwitterで「表現の規制、コンプラみたいなものに疑問がある。自分は表現の自由のもとに、自分の歌いたいことを表現する。」という旨の発言をしていたのを見た。
至極真っ当だと思う。
それでも自分がこのバンドに苦手意識を抱えている理由は、そういう「表現の自由のために、規制と戦い過激な表現をする」というスタンスとはミスマッチな運営の仕方をしていると時折感じるからで、同じような感じ方をした人もいるんじゃないだろうか。
ぼくには彼らが悪ふざけで、若気の至りで、悪ぶって、性的なことや「レイプされた先輩」について歌っているように見えてしまう時がある。
「表現の規制に屈しない」のはどういうスタンスなんだろう。サブスクには、「漫喫、xxxされた先輩へ」と伏字にされ、手書きでジャケットを模写した簡素な白黒の絵がジャケットになったものが配信されている。
果たしてこれは彼らが貫きたい表現なのだろうか?
規制に屈していないと言えるのか?
どれもこれも、それも表現の自由の形だ、と言われればそれまでなんだけど、トップシークレットマンとそのファンの姿に、「レイプされた先輩」に対する真っ当な哀れみや、その言葉の重さに対する誠実さを感じないのは自分だけでは無いと思う。
自分は音楽の歴史に詳しくないけれど、70年代のパンクだとか、よく比較される銀杏BOYZや神聖かまってちゃんがその当時こういう風に思われていたんだとしたら、自分もその面倒くさいおっさんの一人ってだけなのかもしれない。
ただ自分はそういった過激なことは、過激だというだけで広まりやすいし、過激なものほど人は興奮してしまうということを踏まえた上で、冷静に慎重に表現するべきだと思っている。
あえて名前を伏せたりせずに色々書いてみた。
以上が自分の思っていることでした。
綺麗な音楽が好き、真っ直ぐで美しいものが好き。