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黄色く染まった、仔犬の21年。

ジェフユナイテッド市原・千葉のアドベントカレンダー2021(https://adventar.org/calendars/6852)の記事です

みなさんこんにちは。仔犬です。
本記事では、菜の花イエローに染まった仔犬のお話をしていこうかと思っています。
簡単な内容としては
・ジェフと仔犬の15年+α
・親犬に伝えたい、黄色い仔犬の育て方
・20歳の仔犬が見たジェフとの一年
って感じです。気になったところだけでも読んでもらえると嬉しいです。


まずは簡単に自己紹介をば。
2003,4年あたりから臨海に出没していて、気が付いたら菜の花イエローに染まり、ゴール裏に住み着いていた犬です。
多分、人生で初めて覚えた外国人の名前はイビチャ・オシムか、マリオ・ハースだと思います。そんな犬です。

本当だったら去年のアドベントカレンダーに参加するつもりだったのですが、まさかの母犬が参加していたので見送りました。
そんな感じの(今日で)21歳の仔犬(♂)です。わんわん。

ジェフと仔犬の15年+α

ジェフと出会ったのは3歳の頃でした。(母犬談)
当然、わたしにとっては物心つく前なので、さっぱり覚えていません。
ただ、うっすら記憶に残っているのは、臨海のスタンドに出た瞬間に広がる黄色い景色と声援。
当時3歳(ぐらい)の仔犬にとっては、まさに「異空間」といってもいい場所でした。
フクアリに初めて行った時のことも覚えていません。
ただ、「それまでとは違うスタジアム」でのホームゲームの時、臨海と違う設備(屋根とか)に戸惑った記憶があるようなないような。
そんな感じの、微かな記憶です。

なので、「’05のナビスコ決勝、母犬においてかれてお留守番」事件の際、実際に国立行ってたところできっと記憶はほとんどなかっただろうな、と思います。
が、初タイトルを取る瞬間、その現場に居合わせたかった気持ちは確かです。
なので、この件に関してはたぶん一生言い続けることになるでしょう。

母犬曰くの「バックスタンドに連れってったらゴル裏がいいと駄々をこねた」というエピソードも、私はさっぱり覚えていません。
が、まあ当時の私は気づかないうちに黄色く染まっていたということでしょう。

当時のオシムサッカーもしっかり覚えているわけではありませんが、勇人がガンガン前に飛び出したり、巻ががむしゃらに走ったりってイメージは強く残っているので、その程度にはサッカーを見ていたんだと思います。

オシムさんの電撃退任、アマルさんと選手の対立、ストヤンの退団、’07年オフの主力大流出。このころになるとさすがにしっかり記憶も残っていて…
まだまだ無垢だった仔犬には刺激の強いクラブだったなぁと思います(笑)

(たぶん)一番最初にコンフィットシャツを買った阿部ちゃんが浦和に移籍したり’07の最終節で「来年は頑張ります!」ってあいさつした勇人がそのオフにいなくなったり。
・・・当時の私には衝撃的でしたね。「来年頑張る」って言って移籍するとは。まあ、今となっては何とも思わないですが、7歳の仔犬にはインパクトが強かったようです。

’07のオフなんか、選手がみんないなくなって、来年クラブあるのかと本気で心配したものです。
しかし、この仔犬はまだ知らない。’15年のオフにそれ以上の選手入れ替えがあることに。

’08,’09シーズンとかはもう何も言うことはないです。
子供ながらに苦しいシーズンでした。よくわからないけど、「やばい」状態のシーズン終盤。’08年は何とか残留、夢心地のシーズンオフでしたが、翌年はまさに地獄を見るシーズンに。

’10年。一年で戻れるかと思いきや、そうはいかず。
巻の戦力外通告があって、そこらへんからあんまりジェフを見なくなりました。
別に嫌いになったわけじゃないんです。

このころ、わたしは街のサッカークラブでボールを蹴る生活を送っていました。
となると、練習は基本的に毎週土日。フクアリに行っている暇はなかったのです。
プレーオフの決勝とかは行きましたけどね。

そんな中、中学に入るころ、私は気づいてしまうのです。
サッカーやってたら、ジェフ応援できなくね??
こうして練習嫌いだった仔犬は、さっぱりとスパイクを脱いだのでした。

仔犬にとってジェフは応援対象であって、「自分がジェフに入って強くする」なんて考えは一ミリもなかったのでした。練習嫌いだし。
サッカーは見ているほうが楽しいです。練習面白くないし。

それからしばらくして、また仔犬はフクアリに通い始めたのでした。
久しぶりに行くフクアリは、あの頃とは違うサポーターたちがいて。だけど、あの頃と変わらない黄色があって。走り続ける選手がいて。
また、仔犬は菜の花イエローに染まって。ゴル裏で声を張り始めたのでした。

阿部ちゃんや巻がいなくなり、勇人はプレースタイルが変わり。
そんな中、偶々私がTwitterで投稿した選手紹介コメントが採用されたヤマトがリーグ初ゴールを決めたりして。いろいろなことがありました。
少なくとも、也真人があの時ゴール決めてなかったら、たぶんそのあとユニフォームを買うことはなかったでしょう。


思えば’10年、母犬と約束した「ジェフがJ1に昇格したらユニフォームを買ってもらう」というものは…いつの間にかJ2沼に沈んでいきました。
私は今でもジェフがJ1に戻って、母犬にユニフォームを買ってもらうのを待っているのですが。

あれからはや数年。
好きな選手がいなくなっても、成績が酷くても、ユニフォームの色が変わっても。
なんだかんだでフクアリに行き続けているのは、間違いなく過去、菜の花イエローにしっかり染まったのと、色々な事件を通して、ジェフに対しての耐性が付いたからでしょう。

初めてジェフに出会ってからもう17,8年。私は21年生きているので、
実に人生の9割近くをジェフと一緒に過ごしていることになります。
ジェフと出会っていなかった私は、いったいどんな人生を送っていたか。
それはわかりませんが、少なくとも。
あの時、母犬に臨界に連れて行ってもらえたこと。フクアリに行かせてもらえたことを感謝して。
きっとこれからも私はジェフとともに生き続けるのだと思います。

たとえこの先、何があっても。
ちょっとやそっとじゃジェフへの想いが無くならない自信はありますし。
むしろ、人生の8割以上を一緒に過ごしてきたジェフが無くなったら、もう自分じゃないような気すらして。

そんな風に真っ黄色に染まった、仔犬(21歳♂)のお話でした。

親犬に伝えたい、黄色い仔犬の育て方

この項では、親犬(や、今後親犬になる)皆さんに、黄色い仔犬の育て方を、黄色く染められた仔犬の立場からアドバイスしたいと思います。

1.サッカーじゃなくて、ジェフを好きになってもらう。

正直、いいサッカーが見たいなら、海外リーグやJ1見たほうがいい、って私は思います。
なので、大前提としては「ジェフ」を好きになってもらうことが大事だと思います。

例えば、ジェフィ&ユニティー。例えば、ジェットスフィーン。
例えば、選手。例えば、菜の花イエロー。例えば、フクアリ。
私の場合は、(母犬曰く)「公園にお散歩」と称して臨海やフクアリに行ったようです。
実際、私もジェフの試合でもない限りあんまりサッカーは見ませんし。
サッカーに染めるんじゃなくて、黄色に染めたいなら、ジェフの菜の花イエローを好きになってもらったほうがいいと思います。

2.菜の花イエローで周囲を囲む。

思えば私は小さいころから、周りに黄色いものがいっぱいありました。
ネズミーな黄熊とか、くまのプーさんとか、赤いジャケット羽織ったクマのぬいぐるみとか…
そんな黄色い環境で育ってきたおかげか、いつの間にか黄色を見分ける能力に長けるようになっていました。
特に、鮮やかで美しい菜の花イエローと、レイソルイエローだけは絶対に見間違えないようになりました。
まあ、フラッグやエンブレム見比べるとレイソルイエローのほうが鮮やかな気がしなくもないですが。
斯くして、真っ白だった仔犬は見事、菜の花イエローに染まったのです。
ちなみに、蛍光イエローには馴染めませんでした。

3,生活とジェフを一体化させる

なんだかんだで仔犬を黄色く染めるためには、普段の生活の中にジェフがあることが一番です。
何気ない日常の中にジェフ要素があり、それが当たり前になれば、
いつの間にか仔犬は黄色に染まっていきます。
そうすると、私のように、「ゴル裏にいることが当然」「ジェフがあって当たり前」「ジェフ中心に物事を考える」仔犬が出来上がります。

とまあこのように。
幼いころからジェフがあって当たり前のなかで生活してきた仔犬はこんな感じに黄色く、大きくなりました。
親犬の皆さん、これから親犬になる皆さん。
もしよければ、私の例を参考に仔犬を黄色く染めてみてください(笑)
なお、私のようになることはあんまりお勧めしません。
なんせ、高校受験も大学受験も放り投げてフクアリに通うような仔犬ですから。

20歳の仔犬が見たジェフとの一年

世界的に先の見えない状況が続く中開幕した2021シーズン。
2000年生まれの私は、20歳として(正確には今日で21歳になったわけですが)この一年、ジェフを応援してきました。
そんな一年を、せっかくなので振り返ってみたいと思います。

尹体制2年目の今季は昨季の戦いをベースに、おそらく降格して以来最大の昇格チャンスをつかむために陣容を組みました。

ところで、私が別の名義、別のアカウントでやっているブログにて、今季のキープレーヤーとして名前を挙げたのは#32の高橋 壱晟選手だったのですが、当時の私は、ボランチとして2列目からゴールを狙ってくれるものだと信じていました…

さて、ふたを開けてみたら川又の負傷離脱もあり、4-4-2が全く機能せず、見どころといえば若干21歳のサウダーニャによる、ブラジル人らしさ溢れる理不尽ドリブルぐらい。

それでもシーズン中盤から3-4-2-1にシステム変更すると見木の確変もあり、シーズン終盤13戦無敗という新記録を達成したのは、もはや私が語るまでもないことです。

さて、昨季はリモートマッチの開催もあり、シーズンシートの効力停止となったため、5試合ぐらいしか参戦できなかった私ですが、今季は無事、ホームゲーム全試合参戦することが出来ました。(天皇杯大宮戦を除く)
ジェフが好き、ジェフがあって当たり前と今までさんざん書いていましたが、昨季、シーチケが使えなくなるや否やフクアリへの足が遠のいたのは、
私にとってはそれぐらいの熱量だったといわれても仕方名のないことかもしれません。
今季も昨季に引き続き、声だし応援は禁止され、もどかしい気持ちも多々ありましたが、当たり前にJリーグがスタジアムで見られる幸せにまずは感謝ですね。

そして、いよいよ生まれた「私より年下の選手」であるソロモンが今季途中からポジションをつかんだのもうれしいことでした。
特に、東京五輪のトレーニングパートナーに選ばれ、合宿から帰ってきてからはまるで人が変わったかのようにパフォーマンスが向上していて驚きました。

古河電工サッカー部創立75周年、ジェフ設立30周年の節目の年、ピッチ上での結果は残念なものでしたが、それでも若手選手の台頭、13戦無敗などの明るい材料があったのはうれしい限りです。
また、ジェフレディースのプロ化も明るいニュースだったのではないでしょうか。
ホーム開幕戦は私も観戦に行きましたが、J1の頃の高揚感を感じる、どこか懐かしい雰囲気のホームゲームで、これからが楽しみだと思いました。
一方で谷澤達也選手の引退は寂しいニュースでした。
今まで、ジェフの「歴史」を作った選手はたくさんいましたが、彼は数少ない、ジェフの「伝統」を作った選手ではないかと思います。
彼のような選手は、今後しばらく見ることは出来ないでしょう。
それでも、彼が作った「伝統」を受け継ぎ、これからもジェフは戦い続けるのだと思います。阿部ちゃんこと阿部勇樹選手の引退と合わせて、時代がまた変わっていくんだな、とも感じた一年でした。

時代は変わり、選手も変わり、昔いたサポーターがいなくなり、新しいサポーターがスタジアムにやってくる。
それでも、変わらない想いはスタジアムに、ジェフにあり続けます。
2022シーズン。今度こそ、J1に戻るために。
来季も応援、頑張りたいと思います。
就活どうしよ

最後に

こうやって長々と文章を書いていく中で、相変わらず私の文章力のなさを痛感しているわけですが、最後まで読んでくださった心優しい方はいらっしゃったのでしょうか。
私自身、今までのジェフとのことを振り返りながらこれを書いていたのですが、描きたいことが多すぎてなかなか筆が進みませんでした。
ただ、21歳の節目に当たり、こうやって自分とジェフを見返すと、
本当にジェフに出会ってなかった自分というのは想像もつきませんし、
決して多趣味とは言えない私に、ジェフという一つの大きな柱を与えてくれた母犬には感謝してもしきれません。

私は2000年生まれ、20世紀最後の人間です。
臨海の記憶もそんなあるわけでもないですし、タイトルを取った現場に居合わせたわけでもありません。
でも、それでもほんの少し。「臨海のジェフを知っている」という、「J1のジェフを自分なりに全力で応援していた」という自負と、誇りがあります。
そして、「J1のジェフ」を知らない、年下の人たちと違って、「J1のジェフ」を知っている、最後の世代だという(無駄な)プライドがあるんです。
別に強いジェフが好きなわけではありません。
弱かろうが何だろうが、ジェフはジェフです。
2010年、巻誠一郎選手が退団セレモニーで語った、

「このクラブは、マンUやバルセロナと同じ価値がある」
巻誠一郎退団セレモニー(2010)

という言葉に深く共鳴・共感した人間です。
J3だろうが何だろうが、どこまでもジェフについていきます。
だけど。負けているジェフが見たいわけじゃないんです。
勝っているジェフが、みんなを笑顔にしているジェフが見たいんです。
J2に降格してからもう13年。
毎年バカのように昇格を夢見て、毎年涙を飲んできました。
それでもやっぱり勝ちたい。上がりたい。
また、J1で戦うジェフを見たい。応援したい。
その想いで、フクアリに通っています。
また来年、J1に向けての挑戦が始まります。
来年こそ、みんなで笑えるように。

私も来年は就活の年です。
とはいっても、やりたいこととかがあるわけでもないので、志望業種すら定まってないわけですが。
来季、何回ホームゲームに行けるかも怪しいところです。
まあ、高・大受験の時のことを考えると、就活よりジェフを優先しそうですが
それでも私なりに頑張るので、ジェフにもぜひ頑張ってほしいと思います。
来季の今頃、お互いが笑顔で居られるように。
なので、就職先斡旋の話があればぜひご連絡ください

ここまで読んでくださった皆様、長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
初めてのアドベントカレンダー参加&note利用ということで、不慣れな点や見苦しい点など多々あったかと思います。

今年も不本意なシーズンとなってしまいましたが、来年こそ悲願がかなうよう、共にジェフを応援していけたら幸いです。
それでは。

追記
相澤ピーターコアミ選手の負傷に関して、心からご快癒を祈念いたします。
ジェフでの出番こそなかったものの、私と同学年の初めてのジェフ選手であったため、陰ながら応援していました。
これから、という時にこのようなことになり大変残念に思います。
リハビリなどを経て、不自由なく日常生活に復帰できることを願います。



おまけ

大学1年の秋、縁あってJリーグ社会連携担当の方とお話をする機会がありました。
その際、Jリーグと地域、社会との在り方について少し意見を交わしたのですが、その際に心に残ったキーワードがあります。
「日常の中の非日常」
そのJリーグの担当者さんは、Jリーグを日常の中の非日常にしたいのだとおっしゃっていました。
思えば小さいころ、はじめて臨海に生き、スタンドに出たとき。
確かにそこは幼い私にとって「非日常」でした。
それから15年余り。その「非日常」はいつしか「日常」となり、ジェフのある生活が当たり前になりました。
それでも、やっぱりフクアリに行くと、そこには「日常」ではない光景が広がっていて。
スタジアムにこだまするチャント、乱れ咲くように舞う大旗やタオマフ。
ピッチに降りそそぐ光。サポーターの熱に合わせて揺れるスタンド。
それらすべては、何度行っても「日常」になることのない瞬間です。

それまで、私はその気持ちや感動、感情を言語化することが出来ませんでしたが、その担当者さんと話をして、初めて言語化に成功したのでした。

だからこそ、この「日常の中の非日常」をいろいろな人に味わってほしい。
そう思って、今この文章を書いています。

この2年は我々サポーターにとっての「日常」が「非日常」になった2年でした。
残念ながら、しばらくこの「非日常」は続きそうです。
それでも、選手たちは戦い続けますし、リーグは続きます。
モニター越しのサッカーと、生で観戦するサッカーはまた違う体験です。
もし、スタジアムに行ったことのない方がいたら、ぜひスタジアムに行って、「日常の中の非日常」を体験してほしいと思います。

そして、可能であればそれは仔犬の皆さんにも。
ゲームやアニメ、スポーツその他、色々な娯楽が溢れている中ですが、一度でいいからJリーグを見て、何かを感じ取ってもらえればいいなと思います。
そして、それが願わくばジェフの試合で、黄色に染まってくれるなら、これ以上嬉しいことはありません。

本文中にも書きましたが、私自身、「強いジェフ」が見たいわけではありません。
ジェフに常勝集団になってほしいともあまり思いません。
そして、結果が出なくても、ファンやサポーターが増える手段はあると思います。
しかし、それをクラブがピッチ上の言い訳にしてはいけないのではないか、とは思います。
少なくとも私は、負け試合が見たくてフクアリに行っているわけではありません。
勝っているジェフが見たいのです。
ジェフの勝ち試合が見たいのです。

だから、わたしはJ1に上がってほしいのです。
ジェフがJ1にいたころ、私がJ2を全く気にしていなかったように、J2はコアな人間でもない限り、あまり相手にされません。
しかし、その状態に甘んじていてはいけない、と私は思います。

強いチームだから見に来るサッカーファンが多いこともまた事実です。
勝ったこと自体に文句を言う人はいませんが、負ければ大なり小なり文句は出ます。
だからこそ、負けを良しとしてほしくないのです。
「走る」サッカーを標榜し続けるジェフには、J1昇格のため、勝利のためにがむしゃらに走り続けてほしいのです。

ファイトファイト千葉。
この横断幕が出るようになってからジェフは負けなくなったよね、
っていう小話とともに、この辺で記事を終えたいと思います。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

2021年12月11日 矢津田 馨

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