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私の会社員生活を支えてくれた、商店街のお寿司やさんの話

のれんをくぐると、「らっしゃい!」と威勢の良い声が迎えてくれる。いつも上下に弾みながら寿司を握っている大将は「あっどうも!いつもありがとうございます!」とカウンターの向こうから朗らかに声をかけてくれて、私はいつもどおり「特盛握りセット(1,030円)」を注文する。

お茶を飲みながらしばらく待っていると、つやつやしたお寿司12貫がお味噌汁や茶碗蒸しと一緒にお盆に乗って運ばれてきて、ごくんとつばを飲み込む。ひときわ目を引くのは、6匹も甘えびがのったお寿司。

奥の厨房から顔を出した板前さんが「今日もサービスしときましたんで!」と言うので私は「いつもすみません、ありがとうございます」とお礼を言って箸をとり、真っ先に甘えびのお寿司を頬張る。

口の中いっぱいに甘えびのねっとりした甘みが広がる幸せは、何にも代え難い。目をつぶり全神経を集中させてゆっくり味わう。

私はこの幸せなひとときに、2年間で何度救われて来たのだろうか。

うれしい日も落ち込む日も、1,030円の特盛握りセット**

本社に異動してからこの春に転職するまでの2年間、東横線に乗って東京・中目黒に通勤していた。

「中目黒で働いている」と話すといろいろな人から「おしゃれな場所で働いていいね」「おしゃれなカフェがありそう」などと言われたけれど、私にとってダントツにうれしかったことは、いつでも寿司ランチを食べられるということだった。

私は、お寿司が大大大大好きだ。

異動前に学習教室で先生の仕事をしていたときは、子どもたちとの「好きなものなあに」のやりとりでいつも「おすしだよ」と答えていたため、異動のときに生徒から寿司柄のポーチをプレゼントされたくらいだ。(同僚の先生たちからは、寿司柄の色紙をプレゼントされた)

中目黒にはランチのおいしいお店がたくさんあったけれど、なかでも、商店街にあって地元の人たちからも長く愛されているお寿司屋さん「魚いち」はお気に入りになった。

いつも頼むのは、「特盛握りセット(1,030円)」。お寿司のネタはいつも新鮮で張りがあり、出汁のしっかりしたお味噌汁と茶碗蒸しがつくので満足感もある。

のれんをくぐるたびに大将とホールのお姉さんの元気な声が迎えてくれるのにも元気をもらう。

仕事のヤマを乗り越えた日にも、うまくいかなくて落ち込む日も、お弁当を家に忘れて来て悲しい思いをした日も。

同僚とのランチでも一人ランチでも、よく魚いちに足を運んで「特盛握りセット」を注文した。「食べたいときにお寿司が食べられるなんて、大人になって本当によかった」と何度も思ったものだ。

そんな「特盛りにぎりセット」で甘えびをサービスしてもらえるようになったきっかけは、ビニール傘だった。

ビニール傘と、甘えび

ある日、いつものように「魚いち」でお寿司を食べていたら、土砂降りの雨が降り始めた。

食べ終わって支払いを済ませても、雨が収まる気配はない。困っていたら大将が「お客さん、うちのビニール傘持って行っていいですよ!」と声をかけてくれたので、ありがたくお借りすることにした。

後日、借りたビニール傘を持って魚いちに行き「ありがとうございました」とお姉さんに差し出すと、大将がカウンター越しに「どうも、わざわざすいません!」と言う。

そのあとからだ。「特盛にぎりセット」のえびに変化が起きたのは。

いつものように注文を済ませて待っていたら、お姉さんが「これ、大将からのサービスです」とお盆を置いた。すると、いつもセットに入っている蒸しえびが姿を消し、代わりに2尾の甘えびがシャリの上にのっている!

大将は、「傘をわざわざ返してくれる人ってなかなかいなくて、うれしかったのでサービスです!お客さん、甘えびが一番好きだっておっしゃってたんで」と言う。

たしかに私は昔から、お寿司のなかで甘えびが一番大好きだ。でも、そのことを魚いちで申告したことはないはずだ。

大将は続けて言う。「以前にお客さんが他の方と来られたとき、甘えびが一番だって話をしてたじゃないですか」

言われてみれば、以前に同僚とカウンターで並んでお寿司を食べながら、世界で一番お寿司が大好きであること、なかでも不動の一位は甘えびだということを熱弁した記憶がある。

まさか大将がそれを聞いて覚えていてくださるとは…ありがたい。

「とてもおいしかったです、ごちそうさまでした!」とお礼を言って店をあとにしたのだが、甘えびサービスはこのあともずっと続くことになるのだった。

グレードアップする甘えび

後日。またしてもお姉さんが「こちらサービスですー!」と言ってお盆を運んで来た。見ると、前回は2尾だった甘えびが3尾に増えている…?!

恐縮してお礼を言い、大変おいしくいただいた。

そのあとも、私が魚いちを訪れて「特盛にぎりセット」を注文するたびに、4尾、5尾…と甘えびの数は増えていった。最終的に、シャリをぐるりと囲むように甘えびをのせてとびっこまでついた、スペシャル・甘えびが出てくるように。

このサービスは、私が移住転職して中目黒を離れるまで続いた。

私が魚いちでこんな温かい甘えび交流を育んでいるあいだも、会社ではいろいろなことがあった。部署を異動したり、メンバーとのお別れがあったり、成果を出せずに悩んだり、自分の凡ミスで周りに迷惑をかけて落ち込んだり。

言われたことに納得できずにモヤモヤすることも、自分の不甲斐なさにとことん嫌気がさすこともあったけれど、そんなときは「今日のお昼は魚いちの寿司ランチにしよう」と思うだけでちょっと気持ちが明るくなって、頑張れるということがよくあった。

私の中目黒会社員ライフにはいつも魚いちのお寿司と、甘えびがあった。

いつもよくしてもらうお礼にと私はせっせと同僚や友達を魚いちに連れて行き、一人でもせっせとお寿司を食べた。人といっしょに「おいしいね」と言い合いながら食べるお寿司も、一人きりで全神経を集中させて味わうお寿司も、どちらも幸せだった。

転職の報告と、お別れ

そんな私の中目黒会社員生活は、この4月に幕を閉じることになった。沖縄への移住と転職を決めたからだ。

移住と転職のことは、マネージャーと同じチームのメンバーに報告した次に魚いちのみなさんに報告した。

2月、大将にそのことを報告すると大将は「そうですか!」と驚き、厨房に入って行った。聞こえてきたのはこんな声。

「おい、甘えびの子、沖縄に引っ越すってよ〜!」

…甘えびの子。ポニョみたいだ。笑

そのあと板前さんたちが出て来て、「寂しくなります」「まだ来られますよね?」と口々に声をかけてくれてほろりとする。正直言って、とても寂しい。

最終出社が近づくにつれ、コロナウイルスの影響で私はリモートワークが増え、お店は短縮営業を始めて、お店に行く頻度も減ってしまった。

それでもなんとか、最後に魚いちにお寿司を食べに行くことができた。差し入れに鎌倉の「鳩サブレ」を持って、寿司柄の便箋に感謝の気持ちをしたためて。

最後の日、比較的空いていた店内で大将とゆっくり話しながらお寿司を食べた。あまり自分の話をしないかたなので、初めて聞くことばかりだった。大将が寿司職人を志して愛媛から上京したときのこと、小さいお子さんのこと、今年10周年を迎えるお店のこと。

そして、

最初は寂しいかもしれませんが、お客さん明るいんできっとすぐに友達ができますよ。体に気をつけて頑張ってくださいね!

と、優しい言葉をいただく。

私が「コロナの影響で大変だと思いますが、どうぞみなさんもご自愛して、頑張ってくださいね。」と言うと大将は、

お客さんが東京に戻ったときに来てもらえるよう頑張らないとね!また食べに来てくださいよ!

と明るく返してくれた。本当に、頑張ってほしい。

必ずまた魚いちのお寿司を食べに行こうと心に誓い、お店をあとにしたのだった。

最後に

私は今、沖縄の家でこれを書いている。中目黒の会社員生活と魚いちのお寿司のことを思い出して、そんなに昔のことではないのに、すでに懐かしい気持ちがする。

「沖縄は海に囲まれているからお魚もおいしいんでしょう?」と聞かれることがあるが、沖縄ではそんなにお魚を食べない。食べてもフライにしてしまうし、お寿司屋さんはチェーン店以外ほとんど見かけないのが寂しいところだ。

こちらでも、行きつけのお店を増やしていきたいなと思う。

お互いのことをよく知っているわけでも、しょっちゅう会って相談をするわけでもないけれど、顔なじみで声をかけられる関係性に救われることを、教えてもらったから。

傘を借りたときは、忘れずに返そうと思う。

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