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人をカテゴライズすることなんてできないし、人と関わることに正解なんてない

コルクラボで、「あなたの信念はなんですか?」というお題が出た。

「信念」といえるほどにはまだ自分のものになっていないけれど「信念にしたいと思っているもの」が頭に浮かんだので、今日はそれについて書こうと思う。

私が信念にしたいと強く思っているものは、

人を多面的に、カラフルに捉える

ということ。

自分に見えている面や、肩書・診断名などで、「こういう人だ」という決めつけをしたくない。ラベルは人と向き合うための”ヒント”として使われるべきで、”正解”ではないと思うから。

私は2年半くらい、発達障害のお子さんを教える先生をしていた。「ADHD」「アスペルガー」などの診断名というラベルはもちろん、その子と向き合うための”ヒント”としてとても有効だ。一応療育をする立場だったから、診断名からだいたいの特性や必要な支援の検討はつく。

けれど、「ADHDだからこういう子で、こういう支援が必要である。」みたいにひとつの”正解”として思考停止してはいけないと、常に自分に戒めていた。当たり前のことだけど、「ADHD」というラベルの中にも本当にいろいろな個性の子どもたちがいて、ひとりも同じ子なんていない。好きなものも性格も、ものの感じ方も表現の仕方も全然違う。少なくとも、私が教室で見てきた300人くらいの子どもたちは全員違った。(それが難しくて愛おしい)

人を振り分けるラベルを、人と向き合ううえでの”正解”にしないこと。これは、障害名に限らず何についても言えることだと思ってる。

例えば、ストレングスファインダーやエニアグラム。これらの診断で人や自分のことを知るのはおもしろくて好きだけど、その枠にはめてマネジメントされそうになると、「うっ」って思ってしまう。

「あなたは~タイプだから、~さんと同じだよね。だからこういう仕事が好きでしょ、これは苦手でしょ。」

って決めつけてコントロールをとろうとしてくる人の前だと私はどんどん縮こまって、息苦しくなってしまう。

もしも人を何パターンかにカテゴライズして理解できたら、人付き合いやマネジメントはどれだけ楽になることか。余計なことを考えず、ただその正解どおりに人に関わったら良いのだから。

だけど、実際は人と関わることに”正解”なんてひとつもない。人をカテゴライズすることなんてできなくて、みんなグラデーションでつながっていて、いろんな色を持っている。やっぱりそれが、難しくて愛おしいのである。

だから私は人のことを、「こんな人」よりも「こんな面もある人」だと思いたい。

その人の新しい面を知るたびにイメージを塗り替えるんじゃなくて、少しずついろんな色を塗り足して、カラフルにその人のことを捉えられるようにしたい。

そのうえで、ときに悩んだり傷ついたりしながらも、「人と人」として共に在ることのできる関係性を、少しずつつないでいきたいと思っている。

これが私の、「信念にしたいと思っている」こと。いやほんと、まだまだなんだけどね。

▼ハイビスカスのつぼみ、いろいろな色が混ざっていてきれいだから好き。

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