沖縄に移住する。流れに身をまかせてみる。
2020年が明けたときには、その1ヶ月後に自分がこんな選択をしているとは思わなかった。人生何があるかわからない。
5月から沖縄に移住して、学童の先生になります。
なぜ、沖縄なのか
新天地は、那覇のお隣の街・浦添。
新規立ち上げの学童保育で、スタッフとして働くことになった。
今年は、子どもと関わる現場に戻ろう
と決めていて、それも、子どもたちと過ごす場で自然発生的に起きることを受け入れる余白のある環境がいいと思っていた。
保育園や学童の求人を探したり見学に行き始めたところでたまたま、友達がある学童を紹介してくれた。
その友達は、大事にしたいものが私としっくりと重なる人で、「この人が良いと思うものを、私はきっと良いと思う」という確信めいたものがあった。オンライン面談でスタッフの方と話してみた感じも、しっくりきた。そしてありがたいことに、私の書いたものを読んで「一緒に働きたい」と言ってくださった。
拠点が沖縄になる、と言われたときはびっくりした。
小学生のころ、灰谷健次郎さんの小説「太陽の子」を読んでから沖縄に惹かれるようになり、大学生のころから、今も、年に3回ペースで通ってはいつか住んでみたいと思い続けてきた。
けれども今まで「沖縄に住みたいなあ」と思うたびに、
「金銭面が苦しいし」「取材に動きづらくなるし」「鎌倉も大好きだし」「友達に会えなくなるし」
と、「今はまだ住まない」ことの理由を並べてきたのだ。
急に現実味を帯びた選択肢として目の前に現れて、はじめは「いやいやいや!今じゃないよね?」という感じだったのだけど、「本当にないのか?」と自問自答するうちに、「いや...なしではないのでは?」「むしろありなのでは?」「いや、ありだよね!かなりあり!」というふうに気持ちが動いていった。(家の畳をゴロゴロ転がりながら1人で「なしでしょ」「いや、ありかも!」と叫んでる光景はかなり奇怪だったと思う)
この間、約一週間。
気持ちが「あり」寄りに傾いてきたところでシェアハウスの同居人に相談してみたら即答で、
めっちゃいいじゃん!
と返ってきた。
同居人いわく、
このままだと、まいまいはずっと「いつか沖縄に住んでみたい」という気持ちを抱えて生きていくことになるよ。住んでみるなら早い方がいいよ
うむ、たしかにそのとおりだと。
それに折しも、自分がやりたいことをできる環境が沖縄にあり、ぜひ来てほしいと言っていただいているのである。これはもはや、何か流れが来ているとしか思えない。
ちょうどそのころ自分が担当したインタビュー記事で、西村創一朗さんが口にしたこの言葉にも、背中を押された。
自分のなかのバイアスを一度取り除いて、ゼロべースで今とちがう働き方を想像してみる。そのなかで出てくる複業や移住という選択肢を、本気で考えてみる。
まずは一度、やってみたらいい。合わなければ戻って来てもいいし、2拠点生活をしてもいい。いずれにせよ、やってみないとわからないよねと、原稿を書きながら覚悟をかためていったのだった。
なぜ、学童なのか
今の会社LITALICOには、2016年に新卒入社してから4年間勤めることになる。入社後、発達障害のあるお子さんに教える療育指導員の仕事を2年間。指導員をしながら、副業でウェブメディアsoarのライターを始めた。
そのあと異動することになり、全社のブランディングに関わる部署を経て、ウェブメディアの編集部へ。本業も副業も「書くこと」「発信すること」になって、1年以上が経った。
現場にいるときも執筆の仕事をしているときも、自分の興味関心の中心はずっと同じところにあって、点と点を結びながら問いを深めてきたような気がする。
その人がその人らしくいられる居場所をひろげるには、どうしたらよいのだろう。
地域コミュニティ、教育、障害福祉、情報発信、パートナーシップや親子関係... とっ散らかっているように見える関心テーマの根っこは同じ、1人の「人」から始まり、ぐるっとまわってまた「人」に戻ってくる。
学生時代のボランティアや指導員時代の教室で出会って来た子どもたちの顔が、浮かぶ。
例えば、何かしらの軸で優劣をつけられ、身の置き所がなくなってしまう子。とある小さな関わりをきっかけに、生き生きと自分の話をしてくれるようになった子。
soarや仕事ナビの取材でお話を聞かせていただいた方たちの人生を、思い出す。
例えば、好きなものを好きと口に出すことさえできないほど、自分に自信が持てなかったときのこと。ある人との関わりを経て「自分が自分でよかった」と思えるようになったときのこと。
そして年末に参加した「インタビューのワークショップ」で西村佳哲さんからもらったこの言葉を、何度も噛み締めている。
人は、人から関心を向けてもらうことで必ず「よくなる」。「よくなる」とは、その人の内側にあるものとその人自身が一致するということ。
この4年間をとおして私がつかんだ感覚は、
ありのままの自分や相手を大切にして関われる場所があることで、その人らしさが内側から光り出す。私は、そういう場にいることがとても好き。
ということ。
ありのままの自分を、相手を、受け入れて大事にする。こういう関係性の心地よさは、頭で理解するというよりも、実際の場で体感する類のものだ。
このことに気がついたら、「場をつくる人になりたい、子どもと関わることをまたやりたい」という気持ちが、ひたひたと、心のなかいっぱいに満ちてきた。
人が生きていてよかったと感じる瞬間って、人との関わりのなかで自分が尊重され、相手を尊重するときに生まれるものだと思うんですよね。
と話してくれたのは、以前に取材した「芝の家」の坂倉さん。私自身もこの言葉を携えて検証してみるような気持ちで、子どもたちと関わっていきたいと思っている。
流れに身をまかせてみる
こうした自分自身の経験と感覚、そしていろいろなタイミングとご縁が噛み合って、今回の選択にいざなわれたという気がする。
正しく「ピンとくる」ことができるかどうかは、自分が自分の人生を生きるうえで、重要だ。
今回の直感があっているかどうかはまだわからないけれど、ひとまず信じてみることにしよう。そして、流れに身をまかせてみよう。
そういえば
流れに抵抗しないことだよ。ぷかりぷかりと流れに乗って、目の前のことを大事にして生きていけばうまくいく、そんなふうにできてるよ。
と私に教えてくれたのは、那覇で毎回立ち寄る小さなカフェのマスターだった。沖縄行きのこと、はやく報告しないとね。
後日談:無事に、沖縄に引っ越し完了しています。鎌倉から沖縄へ、日常を変えることへの寂しさと切なさ、新生活への楽しみがちゃんと共存できていることにホッとしながら。