開園までのお話ーその2ー「まさか、乳児保育園をつくるなんて、思いもしなかった」
前回の記事では、八ヶ岳風の子保育園のきっかけとなった出会いについてお話しました。
「なんとか、できないものだろうか?」そう思った橘田園長は、そのお母さんに声をかけました。「もし、こどもの預け先があったら、預けたいですか?」
当時のやりとりの様子について、取材された記事があります。
原村は長野県の中でも、幅広い世代から移住先として人気があります。最近では若い世代の移住も増えてきていますが、その場合、近くに頼れる家族はいません。
コロナ禍を経て、リモートワークやフリーランスで働く人が増えています。東京でも地方でも、生き方や働き方が多様化する中で、それぞれの家族の中だけで子育てを全て担うのは、いまの時代ほんとうに大変なこと。
また、経済的なことや、介護や看護などさまざまな事情を抱えたご家庭もきっと多いはずです。
「まさかこの年齢で、もう一度保育園の立ち上げをするなんて、思ってもみなかった」でも同時に「やると決めたら、不思議なほど迷いはなかった」と、橘田園長は当時の思いを振り返ります。
この小さな村に、産休明け保育のできる乳児保育園をつくりたい。まわりに声をかけてみると、同じように移住してきたご近所さんの中に東京や大阪、京都で長年保育に携わってきたベテランの保育士が何人も見つかりました。
2021年7月「乳児保育園を原村につくりたいプロジェクト」が発足しました。
後に、このプロジェクトが主体となり開園支援のクラウドファンディングを募るのですが、その際のインタビューで当時のことを振り返っています。
八ヶ岳風の子保育園のきっかけとなったお母さん(菊島優里花さんと永一くん)と橘田園長の対談です。(インタビュアーは、プロジェクトの共同代表の小林節子さん)
そしてこの頃、とてもありがたい出会いがもう一つありました。現在の八ヶ岳風の子保育園の園舎となる、素敵な建物のお話です。
その3へ 続きます。
開園までのお話ーその3ー「どうぞ、原村のこどもたちのために使ってください」