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開園までのお話ーその3ー「どうぞ、原村のこどもたちのために使ってください」

(これまでのあらすじ)
開園までのお話
その1ー「きっかけは、ひとりの赤ちゃんとの出会いでした」
その2ー「まさか、乳児保育園をつくるなんて、思いもしなかった」

2021年7月「乳児保育園を原村につくりたいプロジェクト」が発足しました。せっかく保育園をつくるのであれば、開園目標は最短で2022年の4月。少々(というか、かなり)無謀にも思えるスケジュールでしたが、プロジェクトに関わる誰もが、不思議と「無理だ」とは言いませんでした。

動き出しはじめると、徐々に「乳児保育園を原村につくりたい」の運動の輪が広がり始めます。ありがたいことに、地元での設立準備会や説明会を重ねる中で、保育への思いが真っ直ぐな原村出身の若手の保育士さんたちとの出会いにも恵まれました。そうして、少しずつ、開園に向けてのメンバーが揃っていきました。

そんな中でターニングポイントになったのは現在の園舎となる「旧・八ヶ岳診療所」との出会いでした。

ある日、原村の不動産情報を見ていると、かわいらしいクリーム色の建物が目に止まりました。

築22年の木造建築。2015年まで民間の診療所として使われていました。

とっても素敵な物件でしたが、明らかに予算はオーバー。でも…「こんなに素敵な建物で乳児保育園ができたら、どんなにいいだろう」、どうしても諦めきれなかった橘田園長と共同代表の小林節子さんは、なんとか賃貸でも借りることができないか、ダメ元で一度相談してみようと、建物のオーナーに会いに行きました。

すると、まさかまさかの奇跡が起こったのです。

こちらは、保育園の開園にあたって、旧・八ヶ岳診療所の村藤裕子先生(建物オーナー)からいただいた激励のメッセージです。

このメッセージは、クラウドファンディングの際にいただきました。

旧八ヶ岳診療所の村藤裕子先生からのメッセージ

この診療所は、2000年秋、訪問診療の拠点として建てました。病院に来れない寝たきりの患者さんや、入院が必要だけど家に居たいお年寄りをサポートするため、訪問を中心に診療にあたってきました。

訪問診療を受ける患者さんは、特別な理由がなければ診療所には訪れません。でも、その介護にあたる家族、そして、ケアワーカーさんたちが、何かと相談に訪れます。

そして、診療所の中に入ってきた時に、木のにおいがして、ホッとするような場にしたいと思いました。壁紙も、化学物質を発生しない和紙にする等、いろいろこだわりがあります。事情があって、2015年に関鎖することになってしまいました。

今回、次に使ってくれる人は、どういう人だろうと、不安に思いながら、売りに出しました。そうしたら、“ここで乳児保育をやりたい”ということを聞いて、ビックリ! 願ってもない、申し出です。

この建物が、原村の赤ちゃん、そしてお母さんたちの役に立ってくれるなら、こんなうれしいことはありません。こだわって建てた甲斐がありました。

どうか、お母さんたちが、自分の仕事を、生きがいを持って元気に続けられますように、そして、赤ちゃんたちがすこやかに育ちますように。その一助となるなら、幸いです。」

2021年11月2日 村藤裕子

手書きメッセージより転載

2022年2月、一目惚れしたクリーム色のかわいい木造の建物は、村藤先生をはじめとするたくさんのご厚意によって、原村の乳児保育園として譲渡いただけることになりました。

元々の間取りを生かしつつ、保育園に必要な機能をリノベーションで追加しました。

室内は築22年とは思えないほどきれいに使われていて、はじめて建物の中に入った際は、ここで保育をするイメージがたくさん湧いてきました。

離乳食用の調理設備、子ども用の手洗いやトイレ、シャワー、沐浴槽の設置などの改修が必要でしたが、無垢材を使った壁、床暖房など、乳児保育にぴったりの建物でした。

元々の建物の様子はこちらからご覧ください。

乳児保育園を原村につくりたい 「八ヶ岳風の子保育園」園舎と修繕計画

地元の若手の保育士さんとの出会い、理想的な園舎となる建物との出会い、そして何より「乳児保育園をつくってほしい」というお母さんたちの声に背中を押され、熱い思いとともにプロジェクトは進んで行きました。

ただ、課題はたくさんありました。解決しなければならないのは、まず資金の問題でした。

ちょうどその頃、「乳児保育園を原村につくりたいプロジェクト」ではカンパと寄付のお願いもはじめました。保育園の開設にあたっては、ざっと見積もっても建物の改修費や開園資金として約1,500万が必要だったのです。


その4へ 続きます。

開園までのお話ーその4ー「71歳でクラウドファンディングに挑戦することに」