チェルフィッチュ× 藤倉大 with アンサンブル・ノマド『リビングルームのメタモルフォーシス』(miru)

なんだか久しぶりのチェルフィッチュ。今回の作品はチェルフィッチュのなかでもとりわけメタな作品なよう。リビングルームのある家族の会話から物語が始まると、このリビングに様々なものが侵入してくる。家主からの立ち退き要請、雨に汚れた毛布、環境汚染された雨に打たれてゾンビと化した人間、ポップな怪物と化した大家たち。父親の方は殺されて排除されていく。せりふでは繰り返し不穏な「気配」がこの部屋に侵入してきていることが告げられる。そしてリビングルームと称される空間にさらに注がれるのが生演奏の音楽。一見すると、部屋に次から次へと侵入してくる「不穏な気配」を助長するかのようで、観客のそうした期待を絶妙に逸らすような音楽なのだと思う。

つまり「リビングルーム」は劇場あるいは舞台のメタファーで、演劇空間で何が起きるべきか、という観客の期待を常にズラしながら更新していく極めてメタ的な遊びのようだ。作品としては『消しゴム山』に連なるようで、家の立ち退き、父親の殺害(フロイト的父親殺しでも、ポリコレ的父権性の告発でもありうる)という人間中心的な主題が環境問題へと変奏されていき、人物たちが怪物やゾンビ、人殺し、遺体として人間でなくなっていくとともに、このリビングルームという演劇空間もまた人間中心的な空間からその外へと脱皮していくという仕掛け。

それはやっぱり新しい演劇の到来を予感させて、ものすごく刺激的ではある。ただ穿って見れば、現在の日本の演劇の行き詰まりがそのまま作品となって現れたようにも思えた。比較的特権的な男性がいまさら演劇で表現すべきことは何なんだろうかという問いかけに寄り添いたくなる自分もいれば、同時に、結局こういう作品を作り得てしまうところに作り手の特権性を感じてしまう自分もいる。岡田利規の芸劇芸術監督就任マニフェストのような作品なんだろうと思うので、この先に何が本当に表現されるのか、それを見るのを待ちたいなと思う。

チェルフィッチュ× 藤倉大 with アンサンブル・ノマド
『リビングルームのメタモルフォーシス』

2024年9月20日 (金) ~9月29日 (日)
東京芸術劇場シアターイースト

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