ピナ・バウシュ『春の祭典』他(miru)
ピナ・バウシュ版『春の祭典』を生で観るのは二度目。前回はSadler's Wellsで2017年に観たEnglish National Balletのパフォーマンス。ダンスは門外漢の人間だけれど、これは正直なところ映画『ピナ』で何度も観た大好きな作品のパフォーマンスとしては「きれい」なだけで少し印象に乏しかった。(これはBausch/Forsythe/van Manenという前衛ダンスの見本市みたいな公演だったのだが、全体にバレエのクラシカルな部分を脱しきれていないという印象をもった。)
今回のプロダクションはそれとは真逆といっていい。荒々しく生々しく、クラシカルに訓練された身体性を打破しようという意図がよく見える。しかも今回はなんと最前列の(砂かぶり)席だったので、走り回るダンサーたちの汗や息遣いや震えを間近に感じ取ることができてまずそれがとても良かった。ただやっぱりタンツテアターの物語性というのかキャラクター性というのか、そこで魅せるのは簡単ではないのだと思う。乙女たちの痛みと恐怖をもう少し感じたかったのかもしれない。とはいえ「選ばれしもの」役のダンサーにはそれでも圧倒されるものがあった。
同時に上演されたジェルメーヌ・アコニーの「Homage to the Ancestors」は、もう少しテキストとの距離が欲しいなあと思うところがあってあまり好みではなかったのだが、『春の祭典』と並べられることで、儀式の土着性と普遍性という共通テーマを明確にしていたという点では面白かった。そう考えると、もう1つのピナの「PHILIPS 836 887 DSY」は鳥のダンスのようで、人間世界の外に生まれる儀式性を暗示していたのかも、なんて考えたり。ニューヨーク・タイムズの記事のなかで、アコニーが『春の祭典』のことを「ずっとアフリカのダンスだと思ってきた」と述べているように、今回のプロダクションでは、女性が生贄として捧げられるという物語が、ローカル/土着な文化性を強く纏いながら個々の文化を超えた普遍的なナラティヴであること、それこそがストラヴィンスキーの音楽とピナの振り付けの核にあるのだとあらためて認識させてくれる。記事いわく『春の祭典』はこれまでヨーロッパ系のダンスカンパニーによってしか上演されたことがなかったそうだが、今回のプロダクションに続いて、いつかアジア系のカンパニーでも観てみたいものだと思う。
ピナ・バウシュ『春の祭典』、『PHILIPS 836 887 DSY』/ ジェルメーヌ・アコニー『オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ』来日公演
2024年9月11日(水) ~ 2024年9月15日(日)
東京国際フォーラム ホールC
https://stage.parco.jp/program/pinabausch2024/