木ノ下歌舞伎『三人吉三廓初買』(miru)

古典作品の複雑な物語を5時間20分飽きずに見せられるというのは、それだけで並大抵のことではないと思う。役者も上手くて演技にはっとさせられる瞬間もいくつかあった。ただやはり作品としては、「古典作品をやった」というところがゴールになってしまっている気がして、『三人吉三』を現代で現代の役者と上演することで何を見せたいのかが見えてこなかったというのが正直な感想である。日本はとりわけ原作至上主義が根強いなと思うことが多いが、古典作品を上演するということは古典作品を「解釈」することなんだという文化がもっと浸透してほしい。その点、木ノ下歌舞伎では岡田利規の『桜姫東文章』が一番成功していたようには思う。

古典の言葉と現代の言葉を混ぜるということについても、例えば『子午線の祀り』のなかでの古語の使用について木下順二が「翻訳」と述べているように、もっと古典の言葉を自分のものにしてやろう、そこから新しい言葉を生み出してやろうという言語的創造力を見たかった。「月も朧に白魚の…」などの名台詞を音楽に置き換えてしまって、そこから新しいものが生まれてこなかったのが痛かったように思う。全体にそういう調子で古典の難しいところ複雑なところを現代人にとって「わかる」ものに置き換えただけに見えてしまった。

一重を中心とする廓の場面が大きく取り上げられていたのは新鮮で面白かったが、ともするとやや古臭いメロドラマになってしまう物語でもあって、もう少し単純な善悪に回収されないキャラクターの描き方が欲しかった。文里にしても伝吉にしてもおしづにしても、もう少し多面性をもった人物として見たかったというか。

なんだか辛辣に書くようだが、こういう木ノ下歌舞伎のような試みがあることは心から応援したい。木ノ下歌舞伎も杉原邦生の作品もそこそこ観てきたかなと思うのだが、ここから先に何があるのか?が問われる局面に来ているのかなあと思ったりする。

木ノ下歌舞伎『三人吉三』
2024年9月15日 (日) ~9月29日 (日)
東京芸術劇場プレイハウス
https://kinoshita-kabuki.org/kichisa2024

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?