諏訪地域国の憂鬱
貨幣価値消滅から60年近くがたった2080年の八ヶ岳山麓での暮らしを漫画化する『星降るまち空のふもと2080〜カントとキナの旅〜』プロット創作メモです。★メモ一覧は→こちら
物語の後半の諏訪地域・冬春編、貨幣復活に苦悩する世界の設定たたき台です。(前半は→こちら)
いやぁ…これは難しい。カントとキナが生まれ育った野辺山は、数人の家族が10程集まった60人規模のムラ。白州では、十人前後の自給自足グループが30程緩やかな互酬交換関係にある300人規模のムラ。なので、そこでは自給自足における創意工夫が前半創作のお楽しみなのですが、後半の諏訪地域国は、数万人規模の自治国を想定しているので、それなりに社会、国家の仕組みを設定しなければなりません。
貨幣が消滅した状態で、どうすれば数万人の暮らしを支えられるのか、諏訪地域国首相イメルの憂鬱に寄り添ってみましょう。
諏訪地域とは
東を八ヶ岳、南を南アルプス、西を木曽山脈、北を筑摩山地に囲まれた「諏訪盆地と八ヶ岳西南麓」地域。行政が停止した富士見町、原村、茅野市、諏訪市、岡谷市、下諏訪町に位置します。
東京では
貨幣価値が消滅すると、水道や電力やガス、石油なのどライフライン供給が停止し全ての商品の流通も停止、都市部では「生存」が極めて困難になります。作中、東京から訪れたアトゥイによってその情景が語られますが、限られた商品を争っても未来はなく、多くの人は静かな永眠を選択。エレベーターの動かないタワーマンションがそのまま墓地となってそびえています。
なぜ、諏訪地域なのか
なぜ、諏訪地域の人々は、貨幣のなくなった世界を生き延びて、自治が再興しつつあるのか。蒸発した日本政府、地方行政に代わって、諏訪地域では、諏訪大社の「御柱祭」を運営してきた組織とそれを支えてきたおかみさんネットワークが、生活財を融通しあい、給与や対価なしに地域の人々を取りまとめ、情報や方針を話し合い、共有する自治組織として機能しました。旧行政や旧民間から有志が加わり、叡智を集めて貨幣なき社会からの再建を試行錯誤しています。
幸いだったのは、
(1) この地域が「御柱祭」のアナロジーから、「ひとつの地方国家(集団)を想像し、そこへの帰属を想像すること」が、可能だった。
(2) 新しい国家としての基盤を創造する間、交通や通信が消滅して地政学的に切り離された地域となり、都市からの無秩序な人口流入が起きなかった。
(3) 給与を失った人々も、親戚に農業従事者がいたりして、農薬や化学肥料、資材を失って人手が必要となった農業への職種転換に抵抗がなかった。
(4) 人口を支えるだけの食糧を生産できる田畑、牧場があり、かつ、人力による作付け、生産、配分、およびその計画が可能な規模であった。
(5) 「御柱祭」における様々な互恵体験により、あらかじめ貨幣に依存しない互酬経済への親和性を持っていた ことです。
必要なものを融通し合いながら、どうすれば暮らしていけるのかを話し合い、東の富士見町から西の岡谷市まで、徒歩でも朝早く出れば午後には着ける距離で、生活物資の融通やノウハウを共有するための行き来が可能。地域全体で自給自足を計画、実践できるちょうどいい人口規模、広さでした。
人口推移
2020年時点で諏訪地域の人口は、17万人弱。2080年の諏訪地域国では、2万人強にまで人口が減っています(シミュレーションしてみて、規模を圧縮しました)。想定としては、2020年から2030年までに人口の3割を失い、その後は、80歳までの死亡率を年1%。それ以降を80歳代と90歳代の生存率を2020年の前10歳層比の実績から、63%と26%で計算。貨幣消滅から生産を再構築し生活が安定する2050年頃までの30年間、出生数をゼロとしています。2048年生まれのイメルに続き、2050-60年代には3,000人規模の次世代が誕生しますが、その次々世代の誕生までには、さらに20-30年の歳月が必要です。イメルより年上の世代は、60歳以上になり、40-50歳代の市民はいません。生き残るための互酬経済は、利他的に生活物資を融通し合う反面、地域内での相互束縛(同調圧力)が強まり、出産(人口増)の自粛が常態化。子供がなく地域での集団生活への依存度が高まり、夫婦や核家族といった生活習慣は風化してしまいます。
2080年の人口は、10歳までの子供が2,000人、その親世代が3,000人、60-79歳が12,000 人。80歳以上が5,000人といった構成比でしょうか。まだ出生率は2.0に達しておらず、人口減少の歯止めはかかっていません。
こうやってグラフにすると、諏訪地域国は、組織労働による生産余剰の確保には成功して、医療や教育、通貨などを復興していますが、まだまだ長い黄昏の中にあります。若い世代が人口の中核をしめ、新しい事業を興すにはもう20年ほどかかります。
イメルの生い立ち
「このままでは国の未来はない。」と、出産の再開に踏み切ったのが、イメルの親の世代。2048年、28年ぶりに生まれた子供にイメル(稲を実らせる稲妻)と名付けます。次世代への希望を一身に集めて、生まれ育てられたイメルは、4年前28歳にして首相に互選されています。資産は共有化され私的所有権という概念はなくなり、経済格差や階級もありません。権力としての「発言権」集団作業における「指揮権」は、集団への贈与・寄与力によります。イメルは、次世代の象徴としてあつかわれ、諏訪地域国の「未来を贈与した存在」でした。
イメルの両親は、2020年生まれ。イメルの両親とその祖父母の生涯を書いたならば、それは、建国の物語となります。圧倒的に苦労してきた両親と祖父母、大人や老人ばかりの環境で育てられたイメルの憂鬱と、カントとキナがイメルに何をもたらすかが、後半の描きどころとなります。
カントとキナの違和感
カントは、(野辺山ではいなくなった)子供たちに未来を感じる。
諏訪地域国では、みんな、weを主語として行動する。
キナはそれが気にいらない。
イメルも、weを主語にして考える。
カントはそれが気にいらない。
イメルは、計算し計画する。
カントとキナは、計算しないし打算しない。
カントとキナは、人に対しては思いやりも優しさもあるが、
全体に対しては、配慮しない。
「それがどうした」。私は、生きているし、これからも生きていく。
煉獄さんのようにキッパリと。
燃料と電力
ガソリン、灯油は流通が止まり、当初、手持ちや流通過程のストックを融通し合いますが、数年で在庫が枯渇します。中部電力も送電を停止。炊飯や暖房の燃料としては「薪」を、灯りにする油をとるために「菜種」を、地域国政府が管理して、生産を分担、蓄積、配分、安定供給を実現しています。
諏訪地域国の首相官邸になっている尖石縄文考古館には、三峰川電力の4つの水力発電所から電力が共有され、電灯や映像機器、パソコンなどの失われた文明が残っているとともに、スマホを数千台連結したバッテリーセンターを保有。電気自動車のモーターを使って改造した運搬、耕作、収穫機械を稼働させています。
独自通貨の発行
数万人規模で、食糧やライフラインを安定的に提供する互酬経済が成立すれば、そこでの「暮らし」を担保とした信用に基づく独自通貨の発行が可能となります。金や銀や米を本位とした貨幣ではなく、その国に参加している証として発給された紙幣は、その国での様々な「暮らし」に兌換可能です。地域に必要な食糧や生活財の生産余剰が、様々なサービスの存続を可能としており、生産高に即して発行される紙幣が、育児や教育、医療、カフェや和菓子司、銭湯を維持しています。紙幣は、自由に様々な価値に転換可能ですが、翌年への持ち越しはできません。また、その年の生産力以上の貨幣は発行しないことにより、貨幣が資本として現実から遊離することを防ぎます。
→と書いたものの、ここは、経済の専門家に相談ですね。問題は、この通貨の発行が、自由市場だけでなく、個人所有や蓄財、個人的な貸し借り、雇用関係や不平等まで復活させかねないところですね。
さて、だいぶ物語の設定が揃ってきました。不整合が出れば、行きつ戻りつして修正しながら、描画してみるエピソードの選定に入りましょうか。
2020年11月19日
※タイトル画は、冬の諏訪地域国首相官邸前のイメル