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「自分で自分の機嫌を取ること」はなぜこんなに難しいのか?
ブログ・ヤトミックカフェの主催、そして「自己肯定感」を探究している矢口泰介と申します。会社員で43歳(2025年現在)、ただいま、絶賛、中年期のアイデンティティクライシスに直面しております。
嫌われる「不機嫌」
TBSのポッドキャスト「LOOM」にて、ラッパーのTiTanさんと、令和ロマンのくるまさんの対談が公開されていました。
「ムダとはなにか?」というテーマで話される内容も面白かったのですが、その中でTaiTanさんが
不機嫌は一番ムダだなと思う。不機嫌はなんのメリットもないしなんの価値もないと思うんですよね。
と仰っていました(ご自身が打ち合わせなどでどうしても「不貞腐れてしまう」ことがあり、それで良くない影響を与えてしまうという反省も述べていました)。
古くは菊地成孔さんと茂木健一郎さんの10年以上前のポッドキャストでの対談で、菊地さんが「ユーモアだけには、自分を支配されても構わない」というようなことを仰っていた記憶があって、「なんか対になる言葉だな〜」とふっと思ったんですよね。
それはさきおき「自分の機嫌は自分で取ろう」という言葉が、割と一般的になってきました。調べたところ、いくつか『元ネタ』とされる発言があるようなのですが、これが賛同を得るということは、おそらく時代的な空気なのでしょう。
確かに「不機嫌な人」ってそれだけでパワハラ的な感じがありますよね。怖いし、話しかけたくなくなります。自分の機嫌を人質に取って、周囲に気を使わせようとするなよ、と思ってしまいます。
しかし、よくよく考えてみると、「自分の機嫌を自分で取る」のは、大事なことながら、意外に難しいのではないでしょうか。
自分の機嫌を自分で取るのは意外と難しい
というのが、実は、「自分の機嫌を自分で取る」という状態を達成するためには二重のコントロールが必要になるからです。
つまり「感情のコントロール」と「行動のコントロール」です。
多くの人は、感情と行動は自動で結びついている、と考えています。だから、機嫌が良くなれば、自ずと行動も良くなるだろう、と考えているフシがあります。
しかし、ことはそう簡単ではないのではないでしょうか。
感情と行動の二重のコントロールが必要になる
こちらの図をご覧下さい。
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横軸は「感情のコントロール」、縦軸には「行動のコントロール」を置いてみました。
一般的に「不機嫌」とされるのは、左下の状態でしょう。つまり、感情のコントロールもできておらず、怒りや不貞腐れに支配され、そして他者に対する行動にも表れてしまっています。
ですから、「自分の機嫌を自分で取ろう」という言説には、左下から右上への状態移行が期待されています。
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しかし、これが実は理想的でありつつ、めっちゃ難しいのです。
というのが、「制御すべき」とされる感情は、往々にしてネガティブだがプリミティブなものが多く、「怒り」はもちろん、「抑うつ」とか「寂しさ」とか「不安」とか、扁桃体から繰り出される原始的な力強いものであることがほとんどで、コントロールがそもそも難しいからです。
なので、コントロールの実体としてはこうなります。
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実際はその感情があるにも関わらず、表に出ないように抑圧し、行動する、ということになります。
「自分の機嫌を自分で取ろう」という言葉の本質、というか、裏の期待とは、「自分の感情によって他者の不利益になるような行動をするな」ということですから、実際は、自分の感情がうずまいていたとしても、それを抑圧してなんとか問題のない行動をする、という選択肢を取ることになります。
その結果、抑圧した感情を表に出せない、ということ状態を長く続けると、メンタルにあまり良くない影響を及ぼすことになりかねません。
周囲への気遣いも大事だが、自分のケアも大事
「自分の機嫌を自分で取ろう」という言説が賛同を得る背景には、どこか「自己責任論」というか、周囲の人間関係を頼れなくなっている社会的な風潮もあるような気がします。
もちろん、「権力をかさにきて、自分の機嫌を人質にすることで、相手をコントロールする」のは明らかにパワーハラスメントであり、論外です。絶対にやめなくてはいけません。
しかし、そうでない場面にまでその言説がまかり通ると、いつの間にか「負の感情を表に出してはいけない」という風潮や、暗黙のルールができてしまい、社会を挙げて「感情を抑圧する」なんてことになりかねません(すでにそうなっているかもしれませんが・・・)
人間は幸か不幸か、まだまだ感情に支配される生き物であり、機械ではありません。ときには「自分の機嫌を自分で取れない」ことだってあります。感情に圧倒されて、行動が起こせないこともあります。
もちろん周囲への気遣いは大事ですが、「自分の感情に自分で気づき、そして適切にケアする」ことも大事だと思います。そういう優しさや気遣いが生まれる社会であるといいのですが。