43歳の典型的なミッドライフ・クライシス思考を「認知の偏り」の観点から是正する試み
ブログ・ヤトミックカフェの運営人をやっております、矢口泰介と申します。1981年生まれ、43歳です。ますます髪の生え際が後退し、顔にはシワが出てきました。身体的にもわかりやすく中年を迎えています。
ミッドライフ・クライシスの典型的な思考
ミッドライフ・クライシスが来た!人生もうおしまいだ!と大騒ぎしていたのが2020年ごろになりますが、感覚的にはいまだ「絶賛人生下り坂」です。
同じ仕事をしていても、楽しさや周囲からの評価が減ってくるし、なんなら「アイツいつまでおんなじ仕事やってんだよ」という冷たい目さえ感じます。「昇進しないのかな?終わったわアイツ」「仕事できないおじさん」という評価も聞こえてきたりして(幻聴かな・・・)。
正直、仕事に対するモチベーションがぐーっと下がってます。
壁が見えてきたと言うんでしょうか。いや、すでに壁に突き当たっているのに、脂ぎった肌を壁にぶつけて、ぶちゅぶちゅとこすりつけながら、醜く前進しようとしているのかも。
自分は何のために仕事してるのかな?いや、何のために生きているのかな?昔はもっとやる気があった気がするし、もっと大義に燃えていた気がするし、俺ならできる!と思っていた時期もあった気がする。
でも今は「仕事から疎外されている」感じがする。仕事くんも会社くんも、なんだかよそよそしい感じがします。「あ、キミ、まだいたんだ・・・」と気まずそうな顔をしています。
なんだか、働いてること、生きていること自体が、恥ずかしい。
と、そんな心持までしてきます。
もう自分はおじさんで、社会のお荷物で負債であり、おまけに何者にもなれなかった。生きる意味をとっくに失ってしまったんじゃないか・・・。
今のまま、惨めな気持ちで仕事を続けていく、人生を続けていくことに、何の意味があるんだろうか。
なんだか書いてみたら、絵に書いたように典型的なミッドライフ・クライシスの思考そのまんまだなあ・・・。
ミッドライフ・クライシス思考を認知の偏りの観点から是正するぞ
私、人生で何度かカウンセリングを利用しているのですが、今年からまたカウンセリングを受けています。
最近、上で書いたような「働いてること、生きていること自体が、恥ずかしい」ということを、カウンセリングで話してみたところ、
「認知の偏り」があるのではないですか?
という指摘をいただきました。
「〜すべき」という思考、「0か100か」の極端な思考・・・。これらは自分を自分でジャッジすることに繋がり、息苦しさを生んでしまうそうです。
もう自分は中年だからダメだ
この先は未来も希望もない
という思考は明らかに極端なのですが、この思考の中にいると「これが真実!真実は常にひとつ!」という考えとなって、なかなか偏りに気が付きにくい。
だからこそ、自分の認知のクセを把握して「認知の偏りの状態に陥ってる」と気づくことがまず重要ですよ、と教えていただきました。
こういう思考に陥ってしまって、めっちゃ苦しくなったらどうしたらいいですか?と聞いたところ
「まずいったんそれを脇においておける状態を作るといいですね。散歩とかでもいいので、環境を変えましょう。しばらく時間をおいてから、問題に戻ってきましょう」
と教えていただきました。
確かに、机の前で行き詰まっているとき、ちょっと散歩に出たり。サウナに入っていると、明らかに「頭のモードが変わる」ということがあります。それを意識的にやりましょう。ということでした。
あらためて、心と身体はつながっているんだよなあ・・・と思いつつ、ミッドライフ・クライシス思考をなんとか乗り越えていこう!と思いを新たにした43歳の秋でございました。