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社会生活不適合な私でも「自分らしく」いていいかしら?

ブログ・ヤトミックカフェの主催、そして「自己肯定感とはなにか?」を探究している矢口泰介と申します。

社会人になって20年以上経ち、もう中年なのに、ときどき「自分はなんてダメなんだろうか」と鬱々とした気分になることがあります。
特に人事評価の時期になると自己評価をするために振り返りをするのですが、そのとき「自分はなんてダメなんだろうか病」という自己否定の波が襲ってきます。

拭えない「社会人不適合コンプレックス」

そもそも自分は社会生活に向いていると思えません。それは、以下のようなコンプレックスがあるからです。

目標達成にがむしゃらになれない

目標達成のためにがむしゃらにやる、みたいなことができない。このまま数字を達成しないと大変なことになりますよ!と言われても、気持ちが乗らないし、切迫感が出ない。「何もかもかなぐり捨ててがむしゃらにやる」みたいなマインドにはなれない。

内発的に動けない

言われたこと、指示されたことはできるが、「こうしたい」「あれをやりたい」というものがない。あっても仕事と結びつけられない。やりたいことに向けて、自発的に動く、ということができない。
「やりたいこと」が浮かんだとしてもそれを口に出すのが怖いし、他人が乗ってくれなかったら・・・と思うと不安で仕方がなく、つい黙ってしまう。

人に関わるのがしんどい

リーダーとしてメンバーと話すのがしんどい。そもそもが人を巻き込んだり、誘ったりというのが苦手だ。
自分なんかが話すのは申し訳ないし、俺が言うことなんかにノッてくれる人なんかいないと思っている。人に強く言われると萎縮してしまう。自分は場を硬くしてしまう。

このように私には、社会人としてやっていくうえで「好ましい」「望ましい」性格の全てがない(と思っている)。
好奇心ややる気に満ちあふれ、朗らかで、目の前の課題に「とにかくまずやってみようぜ」な人に生まれたかった(と思っている)。

自己否定がしんどい。

このように評価の時期になると「自己否定」の気持ちがぐーっと盛り上がります。

「自分らしくいる」ということを疑っていた

最近は「オーセンティック」なるものが大事だとされ、とにかく「自分らしくいるのが大事」と言われています。

しかし上に書いたように、自分の本性とは、社会人としてはおよそ望ましくない性格のオンパレードであり「もし俺が本気で自分らしく振る舞えば、社会人としては壊滅的なのだが、それでいいのだろうか?」と思ってしまっていました。

そういうわけで私は「自分らしさが大事」みたいな言説を、ずっと疑っていたのですが、年齢を重ねて考えてみると、確かに「自分らしさ」みたいなのは大事かもしれないなと思うようになりました。

「自分らしさ」とはなんだろうか

自分らしさとは「他人が認識する自分」も含まれる

自分らしさとは、「自分が認識する自分らしさ」をつい指してしまいますが、実は「人から見た自分」も「自分らしさ」に含まれるとされています。

セルフ・アウェアネス」という書籍によると、自己認識には4つの原型があり、内面的/外面的ともに「自分が何者であるか」を認識している状態が理想とされています。

出典:セルフ・アウェアネス (ハーバード・ビジネス・レビュー)

逆に言うと「自分のことは自分がよくわかっている」と思っていても、実は内面的にも外面的にも自己理解が浅い、ということも全然あり得る話なのです。
自分が思っている「自分らしさ」は、実は正しくないのかもしれないのです。

「自分にできること」を実はやっているのに自己評価できない

と思うようになったのは、昨年の評価の面談のときでした。

というのが
「矢口さんは『◯◯を自分はしなくてはいけない!』と反省をするが、なぜいっこうに◯◯をしないのか?」
と素朴に聞かれたのです。
(◯◯の中身は、例えば積極的に営業をする!とか、人を巻き込む!とかそういう自分が苦手なこと)

確かに・・・と思い、なぜだろうと考えてみると「単純にやりたくないから」という身も蓋もない答えでした。

またつづけて
〇〇をやらなくても、結果が出ているなら別にやらなくて良くないですか?
とフィードバックをいただいたのです。
これまた確かに。なぜ「〇〇をしなくてはいけない」と自分は強く思い込んでいるのだろう・・・とこれまた考え込みました。

考えてみると、その裏側には「〇〇ができない自分はダメだ!」という自己否定をベースにした自己評価が横たわっているんですね。

でも、自己否定をベースに自己評価をしてしまうと、基本的には減点評価になってしまいます。
「◯◯をやっていないにも関わらず結果を出している」ことのなかに自分らしさが隠れているかもしれないのに、その自己評価ができなくなってしまう。

このように、自己否定をベースにしていると、なかなか「自分らしさ」は正しく評価できないのです。

人は「自分らしく」しか生きられないのではないか?

昨今、「自分らしくいよう」というメッセージは、分かちがたく「自己責任論」と結びついてしまいやすいです(このことはちょっとまたどこかで書こうと思う)。

でも、逆に「自分らしくなく生きる」なんてことが、人間に可能なんでしょうか?無理でしょう。たとえ、それが「社会生活に不適合」だったとしても、何とか生きていくしかないわけです。
(そのやりくり、やるせなさ、不器用さが、限りなく人間らしい)

やっぱり考えれば考えるほど「自分らしくなんて生きてたらダメだ!」とひたすら自己否定をすることは無意味です。「ダメだ!」と言ったって、それしかしようがないわけなので。

ということは、取るべき戦略は「そうあるしかない」自分をできるだけ正しく認知して、受容して、それを活かしていく、そして、できるならば自分が幸福になるように、仕向けていくしかないのかもしれません。

自分らしくしか生きられない、ということを受け入れて、理想を一度あきらめたら、一周回って前向きな考えになってしまうのかもしれない、というなんとも騙し絵みたいなことになりました。

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