第5話 ちょっとお願いがあるのよ
「ねぇ、紀美丹君。」
「なんですか?」
「お願いがあるのだけれど。」
上目遣いでこちらを見つめる彼女の表情に、不覚にも動揺しつつ、
「はい喜んで!」
と、居酒屋みたいな返事をしてしまう。
「その、言いづらい事なのだけれど・・・・・・。」
彼女が話し始めようとした時、教室の外から話し声が聞こえてくる。
その声に気圧されたのか彼女は、
「その、此処じゃなんだから、場所移動しましょうか。」
と、僕の腕を引っ張っていく。
今はもう使われていない旧部室棟、元文芸部の部室であったその部屋は、密談するにはもってこいの場所だった。
「よくこんな場所知ってましたね?」
「入学式の日に学校の中を一通り見ておいたのよ。」
「なんでそんなことしてるんですか?」
「未知なものを未知なままにしておくのが苦手なのよ。」
積まれた椅子の中から、手近なものを二つ出して、向かい合わせに並べる、
「どうぞ。」
「あら、ありがとう。」
椅子を少し離して座ると、ジッとこちらを見る視線に気付く。
「あの、なんですか?」
「別に。」
そういうと彼女は椅子には座らず、こちらに近づいてくる。
「あの、近くないですか?」
「そうかしら?」
シラっとした表情でいう彼女。
その行動の意味が分からずドギマギしながら、早く帰りたい一心で会話を進める。
「それで、お願いってなんですか?」
「えぇ。」
彼女は、すこし間を取ると、
「私に、教えて欲しいのよ。」
と言った。
教えてほしい?
この人に教えられる事が僕にあるのだろうか。僕に教えられることなんて・・・・・・。
空き教室に二人の男女。近い距離。そこから導き出される結論は。
「人の感情を。」
「えぇ、わかりました。僕も男です。据え膳食わぬは男の恥とも言いますし。お教えしましょう。それでは、ってえ?なんて?」
「だから、人の感情。心の機微を教えてほしいのよ。」
「何をロボットみたいなこと言ってんですか?」
「あなたこそ、一体何を想像していたのかしら。警察呼ぶわよ。」
「いえ、なんでもないです。勘弁してください。」
しかし、人の感情を教えてって何を言ってるんだろう。
「あの、尾張さんは、アンドロイドか何かなんですか?」
「貴方は一体何を言ってるの?」
シラっとした目で見られる。
「だって、そう考えれば色々納得できたりできなかったりするじゃないですか。」
「どっちよ。」
ジトッとした目になった。
「すいません。」
尾張さんは一度ため息を吐くと、
「私って、人に比べて優秀じゃない。」
「自慢ですか?」
「黙って聞きなさい。」
「はい。」
「やろうと思えば大抵のことは出来るから、出来ないって事が今までなかったのよ。」
「はあ、羨ましい人生だったんですね。」
「そうでもないわ。」
「?」
「なんでも出来るからこそ、出来ない人に嫉妬されたり、嫌がらせされたりそんなことは日常茶飯事だったもの。」
「なるほど。」
「もう、うんざりなのよ。」
それはそうだろう。出来ないことは出来ないのだから仕方ない。
しかし、それと同じように出来てしまうことは出来てしまうのだ。
波風を立てないように、それをわざと出来ないようなふりをすることは、この人の性格上出来なかったのだろう。
「だから、教えてほしいのよ。出来ない人の気持ちを。」
と、尾張さんは真剣な眼差しでいった。
「あの、暗に僕を出来ない人代表みたいに言うのやめてもらって良いですか?」
「あら、そんなつもりはなかったけれど。」
「そうですか。」
「でも、あなた、授業中によく寝てるし、テストの順位も半分より下くらいよね。」
「それは、理系が足を引っ張ってるだけで、文系だけならそれなりに高得点とってますよ!」
「それにいつも、ゲームするフリしながら、他人の顔色伺ってその辺にいるんだか、いないんだか分からないってポジションを獲得してるじゃない。」
バレてた。
「そんなあなただから、適任なのよ。」
「・・・・・・。」
なんか納得いかない。
「・・・・・・それに、さっきのアドバイスは的を射ていたと思うもの。」
そういう彼女の表情は、逆光に照らされてよく見えない。
ただ、その声からはどこか寂寥感が漂っていた。
「だからね、あなたに手伝ってほしいのよ。私がもっと人とうまく関われるように。」
そういうことなのだろう。一人でなんでも出来るからって、孤高でいたい訳ではないのだ。
結局、彼女もただ、不器用なだけで、誰かと仲良くしたいという気持ちに偽りはないのだ。
「わかりました。僕でよかったら。」
そういうと、彼女はニッコリと笑ったように感じた。
「良かったわ。もし断られていたら、私、あなたの世界を終わらせようと思っていたから。」
真っ暗な教室が急に寒くなったように感じた。
「ハハッ御冗談を。」
「まず、叫び声をあげます。」
「いきなりどうしたんですか?」
「次に警察を呼びます。」
「尾張さん?」
「使われていない部室棟といっても、警備員さんは巡回するのよね。」
「尾張さーん?」
「叫び声を聞いた警備員さんはこの現状を見ます。」
「ちょっと!なんで服を着崩し始めてるんですか?」
「警察が駆けつけます。」
「ちょっと!やるっていってるじゃないですか!」
「密室で押し倒される優等生と、授業中寝てる不良。」
「誰が不良ですか!」
「あとは、いう必要もないわね。」
背中を嫌な汗が流れた。
「よろしくね?紀美丹君?」
「・・・・・・はい。」
そういうところだと思う。
「何か言ったかしら?」
「いえ、何も。」
早まったかもしれない。