第3話 光習性
大いなる才能は、否応なく僕達をひきつける。
夜を舞う蛾をひきつけるかのような光は、僕達のような凡人を照らし導く。しかし、光に近づき過ぎたものたちは最後には焼き尽くされてしまう。
そんな才能を持つことは、果たして幸福なことなんだろうか。
周囲の人間をひきつけ、狂わせ、最後はいつも独り。
孤独に己の才能の産んだ結果と向き合いつづける。
そんな生き方を強いられた彼女に、人並みの幸福はいつか訪れるのだろうか。
退屈な授業を終えて、やっと帰れると鞄を掴み校門を出る。
遅ればせながら、机の中にスマホを忘れた事に気付き、戻ってきた誰もいないはずの空き教室。
夕暮れの教室で、文庫本を片手に思案にくれる彼女の横顔は、酷く物悲しく映り、それゆえにとても綺麗に見えた。
そんな、青春小説の一説のような美辞麗句が出てきてしまうほど、その時の僕は、目の前の現実を受け止められず、その場から逃げだしたい一心であった。
僕の胸を締め付けたその感覚は憧れでも、恋慕の情でもなく、うすら寒い恐怖であり、背筋を走る寒気に身を震わせる。
「いつもこうなの。」
「えっ?」
ポツリと呟かれたその言葉は、誰かに話しているというよりは自分自身を納得させようとしているかのようであった。
「みんな勝手に期待して、勝手に盛り上がって、期待していたことと違ったら、勝手に失望して去っていく。本当に自分勝手。」
その言葉は、ありふれた諦観のようで
、どこまでも続く高い壁を思わせた。
彼女、尾張恋は文武両道、眉目秀麗を地で行く天才である。
しかしながら、その完璧さは己のみならず周囲にも少なからず影響を与えていた。
あるものは憧れを。あるものは嫉妬を。
それらの好悪の感情は、彼女を介さずとも彼女の周囲の人々を容易に変質させていった。
努力を続けてきた秀才はその高すぎる壁を前に挫折し怠け者に。
彼女の優しさを勘違いし舞い上がった愚か者は、彼女の想いを無視したストーカーに。
自らの立場を気にする、友人だと思っていた者達は容易に彼女を傷付ける加害者に。
男は沸き立ち、女は陰で噂をばらまいた。
そんな周囲の環境は、元来、社交的だった彼女の性質を内へ内へと閉じ込めるのには十分な役割を果たしていた。
私立北高校の第二学年の僕らのクラス内で、彼女は、クラスメイト達にこう呼ばれていた。
触れるもの皆狂いだし、破滅を迎える「破滅姫」と。
「久しぶりに聞きましたよ、尾張さんの声。」
「あら、あなた・・・・・・えーと?」
「・・・・・・クラスメイトの名前くらい覚えおいてくださいよ。紀美丹です。紀美丹恋。」
貴女と同じ名前ですよ。とは言わなかった。
「どうせ、覚えてもみんなすぐ離れていくもの。」
「それは・・・・・・。」
その後の言葉は少し言い出し辛かった。
「あの対応なら、仕方ないと思いますけど。」
「あの対応?」
「自覚無いんですか?」
テストでは、いつも満点。スポーツをすれば、その実力は全国区。
そこまではいい。それだけならクラス内カーストと呼ばれる認めたくはないが確かに存在している制度の中でもトップに立てる素質が十分にある。
ただ、彼女は、クラスメイトへの対応に問題があった。
彼女にとってその天才的能力は当たり前のもの過ぎて、誇るものでもなんでもない。
なので、それを褒められたところで、微妙な反応になるのは仕方がないことである。
ただ、クラスメイト達が、その反応をよく思わない事もまた、仕方がないといえる。
彼らにとって困難な事が、平然と出来てしまい、さらにそれを歯牙にもかけない彼女の有様は、彼らのなけなしのプライドを圧し折るのには十分すぎるほどであるからだ。
そして、自尊心を守るために彼等は彼女の態度そのものが悪いと考えはじめる。
いわく、調子に乗っている。性格悪い。そんな言葉を直接口には出さなくとも、わざわざ自らの自尊心を傷つける原因に近づく物好きはいない。
「まぁ、良くも悪くも、尾張さんの対応は馬鹿正直過ぎるんですよ。」
「あら、正直なのはいい事じゃない?」
尾張さんは、不思議そうな顔で首を傾げる。
「にしたって、この前のテストで学年二位だった椎堂_シドウ_さん。の『今回はあまり勉強時間が取れなかったから、貴女に届かなかったけど、次は負けないからね!』っていう負け惜しみに対して、『私も、猫動画観るのに忙しくて勉強するの忘れてたわ。一緒ね。』はないでしょう。」
「そうね、テスト前に猫動画はダメよね。反省するわ。」
ため息を吐きながらそうのたまう。
「そこじゃないです。」
「え?」
彼女は、本当に不思議そうな顔でこちらを見ていた。
マジか、この人。
「椎堂さんの努力というプライドを、才能で完膚無きまでに叩き潰してるのが問題なんです。」
「そんなつもりは全くないのだけれど。」
そうのたまう表情は、あどけない少女のように純粋に見えた。
「まぁ、尾張さんにそのつもりがないのは、見てればわかりますけど、言われた椎堂さんは心中穏やかじゃなかったでしょうね。」
あの時の椎堂さんは喉に無理矢理、拳銃の弾を撃ち込まれたような、ものすごい顔をしていた。
「そう。それで、あれから口を聞いてくれないのね。」
少女はそういうと、なにやら、スマホを取り出して、メッセージを打ち始める。
「椎堂さんに連絡するんですか?」
「えぇ。あなたのおかげで、なんで彼女が怒っているのかやっとわかったから。」
メッセージを送信し終えると彼女は、
「あなた、紀美丹君だったかしら。その、ありがとう。」
と、微笑む彼女に不覚にも少し見惚れながら、
「仲直り、出来るといいですね。」
とドギマギしながら返すのが精一杯だった。
その後、スマホに目を落とすと少女は、ボソリと呟いた。
「ブロックされたわ。」
台無しだった。