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ViViD「夏花」と不安な毎日と蛍について

こんばんは。

夜灯(やと)です。


唐突ですが、ViViDというバンドがすきです。

私はどちらかと言うと広く浅くタイプなので、

一ファンと名乗るのは烏滸がましいかもしれませんが、

ViViDの「夏花」という曲を最近知り、

色々と思いを巡らせています。


もう二度と想い人に逢えないような状況の歌詞ですが、

どうしてなのでしょうか。。

理由は分からないですが、

蛍火の道でわざと狭めた歩幅に君は気付いていたの?
愛しくて愛しくて愛しくて君が
このまま手を繋いでたい

に感じる純粋な相手を想う気持ちが

とても透き通っていてあたたかくて、

夏祭りの体温と同じ温度のぬるい風が

少しまとわりつくようなあの何とも言えない感覚と

夏の夜の独特な匂いがしてくるような気がします。

後半の

夏風に思う どうか君の香りをここまで連れて来て
夜空に願いを 又会えたらずっと側にいて…
側にいて…側にいて…側にいて

の繰り返される「側にいて・・・」を

聴いていると苦しくなって、

切に願う想いの一端を感じずにはいられないです。


歌詞に出てくる蛍火の道はどんな景色だったのでしょう。

私も今年は初夏の蛍を見に行きたくて、

大切な人にお願いしました。

これも父親との想い出の一つに蛍を見に行ったことがあることが

関係しているのかもしれません。

もうどうしたって分かり合えないけど、

あたたかかった頃の家族への想いを

捨てきれないみたいです。


毎日将来が見えなくて、

就職活動が上手くいく気がしなくて、

消えずに生まれてくる不安を両手で抱えながら、

大きくなったり小さくなったりを繰り返す

希死念慮と共に生きているのですが、

それでもまだ初夏なんて先のことを夢見てしまう

自分もいるんだな、と他人事のように感じました。

死にたい、と思うことさえ、生きたい、ということなのかもしれません。

毎日ずっと喉に嗚咽がつっかえていて、

思いっきり泣けたらすっきりするのかな、

なんて思っても泣けないのですが、

この間そんな私を見て大切な人が

そっと涙を流していました。

また救われてしまいました。

私は同じだけ救えるのかな。

救えているのかな。

この手で大切な人のどれだけの不安と痛みを掬って、

そっとあたためられるのかな。


書いていたら不思議に涙が流れました。

死ぬとしても蛍だけは見に行こうと思います。

心に残っている蛍火があれば、よければお聞かせください。


それでは、また次回お会いしましょう。

夜灯(やと)でした。

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