【自伝】虐待に気付かなかった私のこと〜目覚め〜
既に先述していますが改めて、私は未熟児で仮死状態で生まれました。
そして顔にアザがあります。
それを理由に家族から理不尽な扱いを受けてきました。
父から暴言暴力、母から人権無視ネグレクト、姉からも人権侵害、兄は見て見ぬふり。
誰かに相談するとか頼る依然に、そもそも虐待されていると認識してなくて、小さい頃からこれが当たり前と思って自分の時間を削り、家事全般をして家族の為に労力を使ってきました。
自分の感情に蓋をして動く人形状態で生きていました。
大きく変わったのは24歳の時。
激しい腹痛で病院に行きました。
診断は卵巣がんステージ4です。
かなりがんは大きくて、もう片方の卵巣と子宮に転移していました。
当時の基準で10年生存率は7%です。
今はもう少し上がっているようですが死亡率が高いがんには変わりありません。
即入院で手術と抗がん剤治療が決まりました。
長い入院生活になるので仕事は辞めざるを得ません。
先生から手術の説明を聞いた時、父は「お前はもう女じゃない。結婚できると思うな」と言いました。
私は一度も結婚したいと思ったことはないのですけどね。
子宮卵巣全摘手術を終えて朦朧とした状態で病室に戻ってきた時、父は「いつまでもこんな所に居ても仕方ないだろ!帰るぞ!」と言って帰ったのです。
眠っていると思ったのだろうけど意識はあってちゃんと聞こえていました。
「家のことは心配しなくて良い」
「治すことだけ考えるんだよ」
そう優しく声かけしている他の家族を見て衝撃でした。
入院生活をして他の患者さんの家族を見て、初めて自分が虐待されていたことに気付いたんです。
入退院を含めトータル1年間の抗がん剤治療をしたのですが、一度も家族がお見舞いに来ることはありませんでした。
抗がん剤治療は過酷でだるさ、全身の痛み、吐き気、痺れ、便秘、関節痛、胃は荒れてキリキリと痛みます。
全身の脱毛もあります。
髪だけじゃありません。眉毛もまつ毛も全身の毛が抜けました。
ベッドから起き上がるのもやっとで動けません。
そんな状況を姉に電話で話しましたが「ふ〜ん」で終わり。
保険に入っていたのでその手続きを母にお願いしても「分からない」と言って対応してくれません。
働いて得た給料は全て母に渡していたので「生活費は大丈夫でしょう?」と聞くと「全部使った。もうない。」絶句です。
本当に私が死んでもどうでも良いんだなと思い知らされました。
私は今まで何のために、誰のために生きてきたんだろう?
怒りと悔しさと絶望感と色々ぐちゃぐちゃになって纏まらない感情でいっぱいで震えが止まりませんでした。