文章に必要なのは語彙力ではなくてリズム
難しい単語を使うと、文章力が上がったような気がする。
なんて。まあ、そんな時期もあったけど、今はできるだけわかりやすくい表現が文章として美しいと思っている。おもしろければ、なおのこと良しだ。
がんばって無理に「滋味深い」とか言わなくていい。なんだ「滋味」って。グルメ雑誌を作ってたときに毎日使ってたぞ。ごめんなさい。
難しい単語が並ぶと、文章としての品格が上がるような気になってしまう。でも、本当にいい文章に必要なのは、リズムなんだと思う。
ぼくの文章は、疲れた夜に書くことが多いからか、なんだか単調になる。ある日、文章を見直したら読点(、)の打つ場所が3つの文章で連続してまったく同じで、いっそもう1つ加えて4つそろったら気持ちよくならないかな逆にと思ったくらいだ。
読んで気持ちのいい文章は、リズムがいい。
言葉ひとつひとつ、助詞やふりがなといった末端にまで血が通って、ぴょんぴょん跳ねてる感じだ。1つの文章が40字以内とか、できるだけ短くとか、そういう技術的なこともあるかもしれないけど、それよりも文章全体が「ノッてる」みたいなイメージだ。
きっと、そういった文章のリズムが、その人の文体になるんだろう。そして、それはたぶん書き手の話し方だったり、その人の感情の起伏といった普段の生活にも影響されそうだ。
さくらももこさんが、『ひとりずもう』のなかでこんなことを書いていた。
書きおろしのエッセイは、特に気分に大きく左右される。ノリの問題なのだ。ノリの良い時しか筆が進まない。
このノリは、どうすれば良くなり、どうしたら悪くなるのかという事がわからない。「今、書きたい」という気分になるのを、ひたすら待つしかないのだ。
他の仕事は、ノリが良かろうが悪かろうが、どうにかがんばりゃできるのだが、エッセイは特別だ。それだけ、集中力がいるのかもしれない。
読点の場所が3つ連続で同じになるぼくの文章は、たぶん単調だ。確実にノリが悪い。
だから、話し方を感情豊かにしてみたり、ノリの良い生活が送れるよう、暮らし方を変えてみるのもありかもしれない。
それで文章がリズムよくノッてくれるなら、いつもろくろをまわしながら話すのも悪くない。