小説_少年の夢_W1280

ショート・ショート:少年の夢

 夕暮れ時、風をきる音。

 息が白い。

「またやってる。」

 呆れたような声。

 少年がバットを振っている。

「ご飯できてるからね。」

 疲れた顔の若い母親。

 意図せず彼女は侮蔑的視線を向ける。

「うん。」

 少年はバットを振っている。

 彼女は舌打ちをした。


「才能がない。」

 コーチから言われた。

「自分に合ったものが他にあると思うぞ。」

 監督に言われた。

(わかっている。)

 気持ちがいいんだ。

 野球が。

 理由はわからない。

 ただ気持ちがいい。

 楽しい。

 ウキウキする。


 一呼吸おくと走り出した。

 すっかり日は暮れている。

 彼の横を老人が追い抜いていく。

 老人は笑みを浮かべる。

 彼は足が悪かった。

 だから速くは走れない。

 何時もの川辺の広場。

 捕球姿勢をとる。

 何度も、何度も。

 汗が浮かんだ。

 送球姿勢をとる。

 球は投げない。

 そもそも持ってない。

 投げると取りに行かないといけないからだ。

 でも彼の手には確かに球の感触があった。

 家に帰ると、夕食がゴミ箱に。

 少年はゴミ箱から拾い直す。

 皿に並べると、手を合わせた。

「いただきます」

 頭の中では今日の練習の感触を反芻している。

 食べ終わると食器を洗い床につく。

 毎日、毎日。

 同じことの繰り返し。


 ある夜。

 小雨降る中、繰り返す少年に初老の男が近づいて来た。

 少年は男を見ることなく送球姿勢を続けている。

 1、2、3。1、2、3。流れるように。

 男は黙って見ていた。

 少年が一通り終わり帰ろうとすると男はいった。

「美しい。」

 少年は初めて男に気づく。

 頭を下げた。

 男も。

 翌日、初老の男は先に来ていた。

 少女を連れいる。

 男は彼が来ると頭を下げた。

 少年も男に気づき黙って頭を下げる。

 でも同じことを繰り返す。

 次第に汗ばむ肌。

「これが美しいということだ。」

 少女は応えなかった。

 少年に見入っていたからだ。

 来る日も来る日も二人は現れた。

 だが、初老の男は一人、また一人と連れてくる。

 少年は変わらず繰り返している。


 半年が過ぎ、春。


 広場では野球をする少年の姿があった。

 初老の男の姿。

 そして、あの少女。

 車椅子の青年。

 へっぴり腰の少女。

 走り回る犬。

 ガタイのいい大人。

 ヒョロヒョロの男。

 そして少年の母。

 皆、笑っている。

 少年も。


おわり

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松里鳳煌(hoko)
最終的には”本”という形で手に取れるように考えております。