我慢強く生きてきた小学4年生のバレンタインの結末。
今日はバレンタイン。
夫と結婚して9年目を迎える。
付き合ったときからさかのぼると10年目のバレンタインだ。
今年もお決まり
アーモンドチョコを渡して、
ご満悦の夫だった。
今日は
インスタ投稿の深堀りではなく
バレンタインのお話でも。
バレンタイン、
みなさんはどんな思い出がありますか??
わたしはいま39歳。
今から約30年前の話をしてみよう。
小学4年生のわたしは、
クラスの好きな男の子にチョコレートを渡した。
仲良しの女の子と一緒に
それぞれ好きだった子に放課後プールの裏で準備したものを渡した。
いまそのときのことを思い出すと
クスっと笑ってしまうし、
勇気をだして頑張ったなと
自分のガッツにいいじゃん!と思わず微笑んでしまう。
その日は朝からめちゃくちゃ緊張した。
いや、
きっと寝る前から心臓はバクバクしていたと思う。
その日は学校で普段通り授業があるけれど、
午前の授業も給食も掃除の時間も
ランドセルのなかにしまってあるチョコレートが気がかりで
ソワソワしていたのを記憶している。
5時間目、
何の授業だったかはもう忘れたが
授業終わりのチャイムでいよいよはじまるそれが
もうドキドキして仕方がなかった。
10歳のわたしは
好きな子にチョコレートを渡すことがはじめての経験で
気づくと全身がめちゃくちゃ熱くなっているのを感じた。
その日、
スカートをはいていたけれど、
少し出ていた熱くなったわたしの太ももと
学校の机の裏の冷たさのこの対局な感覚を今でもはっきり覚えている。
授業中、ずっとずっと冷やしていた。
無事、チョコレートを渡した。
そこからの記憶はおもしろいほどごっそり抜けている。
ただひとつ覚えているのは、
高熱で倒れて次の日学校をお休みするはめになったこと。
バレンタインの翌日に休んで、
その後復活をしてまた学校に行くときに
それはそれは
クラスの男子たちにからかわれて
恥ずかしかったことも覚えている。
休んだから余計に標的になったわけだ。
いじりがいがあっただろう。
わたしは小さな頃から
行事の前後に「熱」を出す子どもだった。
微熱ではなく、
高熱でぐったりな感じ。
ぎりぎりまで親にも言わないし、
突然ぐったりするから
「なんでもっと早く言わないの!!」と
よく母親に怒られたものだった。
ソワソワやドキドキする気持ちを
言葉で表現することがどうやら苦手だったみたい。
ついつい周りの様子を気にしちゃっていた。
言えない、出せない
その代わりに
わたしのからだが出してくれた「熱」。
からだって、
本当にやさしいね。
守ってくれてありがとう。
これからは、
たくさん頑張った分だけ
わたしが手をかけてあげるね。
毎年バレンタインに
そんなことを思うのでした。
みなさん、
素敵なバレンタインデーを。
最後に、、、
もうすぐ娘たちが小学4年生になる。
そんなソワソワを
これから二人が経験するかと思うと
にやつく自分がいる。
これから楽しみなこといっぱいだな。
よし、それも丸っと楽しむぞ!