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「できない」自分が好きになれないけれど・・・

「好きになれないんだよな~」
そう感じるもの
誰でもあるだろう。

母親歴
もうすぐ10年。

好きになれないモノ
いま頭に浮かんだものたちを書いてみた。


揚げ物をあげる、その後始末
洗い物
水筒のパーツ外し、戻し
車の運転
トイレ掃除
排水溝掃除
隙間の掃除
衣替え
遠足の日のお弁当作り
動物全般、特に鳥類

好きになれないモノたち(2024年11月)


書きながら
もう好きにならなくてもいいやと
腹をくくったものもあれば

回数を重ねるうちに
好きじゃなかったけど
好きになりつつあるもの
好きになってきたものもある。

好きになれないモノ
それは、どうやらかわっていく。

そんなことを感じた。


そして、
ここからが本題。

わたしが
逃げずに向き合わないといけない
好きになれないモノ



それは、

「できない」という自分だ。

好きになれないモノの1つに
見事ランクインする。

親の言うことを聞く
先生のこれやっらたいいよ!を聞く

まさに優等生タイプでやってきたから
「できません」
「できないです」という状況が苦手
だ。

そう、
とっても苦手なのだ。

書くと慣れてくるから面白い。

調子に乗って
何度でも言ってみよう。

「できない」自分が苦手なんだ。


「できない」ことが
どこか格好悪かったり
どこか恥ずかしいもの

そう思い込んでいる。

「弱い」自分を出すこと
ここがどうも好きになれないのだ。

小さな自分がひょっこり顔を出してきて
「わたし、できるもん!」と
少し口を尖らせてこっちを見ている。

それだけ頑張って
一生懸命生きてきた証拠なのかもしれない。


これまでも
好きになれない自分と
仲良くなるきっかけがたくさんあった。

いきなり双子育児から始まった
「子育て」もまさにそのタイミングだった。

でも、
何度も癖が出てきて
頑張ってしまった。

ここ数日
そんな自分とまた仲良くなるチャンスがやってきた

ここをもう逃したくない
41歳の自分が覚悟を決めた瞬間だ。

スマホをいじっていたら
ある曲が目に飛び込んできた。

歌詞が書かれたその映像は
わたしの胸に飛び込んできた。

知られたくない自分を 僕ら潜ませながら
愛されたいと願って懸命に生きている

君のどんな小さな涙にも 君のどんな小さな痛みにも
居場所があり一人じゃないこと伝わるように
君が好きになれない君にしか見つけられない愛もあるんだ
ずっと ずっと味方でいるからそのまんまの君でいて

君のどんな小さなプライドも 君のどんな小さな強がりも
そうすることで守りたいもの 気づけるように
君の抱え続けた苦しみも 君の拭いきれない悲しみも
無駄なものなんてなかったんだと笑えるように

wacci「どんな小さな」


「できない」自分を
隠して頑張っていた過去のわたしは
身近にいる家族や大人たちに
愛して欲しかった

認めてほしいと思っていたということ。


つまり
「できない」自分
そのまんま丸ごと愛して欲しかったのだ。

でも
「できない」ままだと
嫌われると思ってバカにされると思って
必死に歯を食いしばって頑張っていたのだ。

歌詞を何度もみて
あったかくなる曲を何度も聞いて
やっとやっと腑に落ちて
涙がとまらなかった。

ホルモンの乱れ?と
少し疑ったけれど
あの涙は魂からの
「やっと気づいたね」
「もうそのままで大丈夫だよ」
の涙だった。


そのまんまの自分
子育ても家事もお仕事も

自分らしく
もっと楽しみたい

そんな気持ちがグッと湧き上がってきた。

音楽って
わたしにとって
ガソリンのようなものだなと
あらためて感じた瞬間だった。

wacciさん、
素敵な曲をありがとうございます。

君のどんな小さな一歩にも君のどんな小さな勇気にも
昨日と少し違う自分を誇れるように
君が選び歩いた道にしか咲くことのない花があるんだ
ずっとずっと信じているからそのまんまの君でいて
どうか 笑っていて欲しい

wacci「どんな小さな」

この最後の部分も最高だ。

冒頭に書いた
好きになれないモノのリストは
時間が経てば
向き合いつづければ
「なんか好きかも」
「このままでもいいかも」
に変わっていくことも気づけた。

よし、
「できない」自分にも向き合いつづけて
「こんなわたしも好きかも」に変身させていこう。

あとは勇気をもってやるだけだ!
よし、一歩踏み出そう。

いま、そんなことを感じている。

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