終わりははじまりの合図。看護師最後の日に感じたこと。
気がづけば夫のもとへ引っ越す日まであと30日となった。
引っ越しに向けて準備を進めるなかで区切りをつけることがたくさんある。子どもたちの習い事も一つひとつ終わりの日を迎え、私の看護師としての仕事もひと区切り着くときがきた。
その日はあっという間にやってきた。最後の出勤日だと気づいたのは、その日の朝だった。
あっ…今日で最後だ…
子どもたちに朝ごはんを食べさせ、カレンダーに目をむけて思わず口から飛び出した言葉だった。
お世話になった職場の方たち、担当していた利用者さんやその関係者の方に挨拶をして、最後の日を無事に終えた。双子の娘たちが1歳のときからこれまで何度も通った職場をあとにした瞬間、急に寂しさが込み上げてきた。
終わっちゃった…
自転車を走らせながらそんな言葉が頭に浮かんだ。
自宅につくタイミングでスマホが鳴った。お仕事でも大変お世話になっている友人からの連絡だった。依頼していた新しい名刺のデザイン案が送られてきたのだ。
友人に今日が看護師最後の日だったことを呟いた。少し前の私ならその寂しさを我慢したり、感じないようにして「大丈夫」と言い聞かせて感じた気持ちを表現しなかった。でも、すんなり言えていることに気がつき、自分の成長を感じて嬉しくなった瞬間でもあった。すぐに返信があり、そのメッセージに心が震えた。
看護師さんもやっちゃんにとって
大事なお仕事だったもんね
2足のわらじでよくやってきたね
お疲れさまでした
私は名刺を作りながら
最後の保育園や新しい保育園で配る
やっちゃんの姿を想像して
ワクワクしていたよ
別れの後には出会いがまっているね
友人からの言葉を読んで、いくつかのことが頭に浮かんだ私がいる。
・寂しい気持ちを言って良かったこと
・よく頑張ってきたねと自分をねぎらうきっかけをもらえたこと
・どんなときも支えてくれる友人がいること
・終わりじゃなくて私の人生はこれからずっと続いていくということ
スマホを片手にそんなあれこれを噛みしめた私がいた。最後の日と聞くと寂しさがどこか先行するけれど、これから先も私の人生という名の物語はまだまだ続いていく。友人からの言葉のギフトに素敵な気づきをもらえて、これから待っている新生活がより一層楽しみになった。
看護師12年という期間でたくさん立ち会ってきた「最後の日」。担当していた患者さんの顔が今でも思い出される。その経験から人生には限りがあることや後悔のない選択をしたいと常々感じてきた。そして、感じたことは飲み込まないで言葉にして伝えたい相手に届ける。それも大切なセルフケアだと感じるようになった私がいる。
最後の日は、終わりではなくはじまりの合図。これから先、どんな物語が待っているのだろう。離ればなれで暮らした家族が全員集合まであと少しだ。新しい環境での物語のスタートがますます楽しみになってきた。最後は決してネガティブなものではない。新しいページをワクワクした気持ちでめくり続けていきたい。そう感じた私がいまここにいる。
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