幸せとは

病んでそうなタイトルから始まりました。笑


今日先輩と飲みながら話してる時、幸せとはなんぞや!という話になりました。
いや、その前の話から行こう。

■何者かになりたいってなに?

「何者かになりたい」ってなんぞやってなって、これは就活している上でも大学生活送っている中でも感じていたことで

**

「肩書きや実績を得ることを目的にしていないか?」**

と思う人や自分自身の行動がいくつかあって考え始めたことで。
ぼくのこの答えは、「目的と手段が逆転している」こと
本来目的があってその手段としてやっていることが、その手段にとらわれてしまう。よく、部活の練習で言われているのと一緒。
その練習をうまくこなすための練習をしている。でもこれはその練習が目的になっている。本来の目的は「うまくなること」なのに。

例えばサークルで代表やるってなった時、「このサークルをもっと良くしたい」=目的であり、その手段として「代表をやる」ってプロセスが正しいわけで。これを

「代表やりたいからみんなに媚びる!」とかだと最低なわけで。やはりうまく言語化はできないままだが。

ちゃんと目的をしっかりさせないとね、ってお話。


■本題


幸せとはなんぞや。先輩のたとえ話。

偏差値45のクラスで2番目に可愛い女子高生が一番幸せ

いやびっくりした。でも説明聞いたら確かになあと。
*決して差別・誹謗中傷を意図的にしているわけではありません。そう捉えてしまったらごめんなさい。すぐさま消します。

・偏差値45だから周りの世界を知らない
→将来の選択肢が限られている、というかそもそもその選択肢を知らないため将来が見えている。
・2番目に可愛い
→女子からも敵にならない、男子と女子からも好かれる。
・女子高生
→程々に自由がきき将来もそこまで考えずに親の脛をかじれる

いやほんとディスってるかもこれは。気分害されましたらすぐ消します。


ここで一つあるのは、最初の「周りの世界を知らないこと」

自分らってなんで自分を卑下して自己肯定感低いかっていう一因に、
「他人と自分との比較」っていうのがある。これは必然的で比較するなって言われても無理だと思う。人間そういう生き物だもん。
で、頭いい人っていろんな世界飛び込んでいろんなプロフェッショナルに会うたびに自分という存在がいかに小さくてちっぽけなものか知らされて惨めになって落ち込む。

「知ってるから比較する」

でも知らなければそんなん比較することもないしそもそも知ろうとしなければそこで満足できますわな。

んでまあそこから話は進みまして。

結局どうすれば幸せかと?

「軸を持つこと」

あいつはタワマン住んでてすごい。あいつは年収1000万もらってすごい。あいつは研究で賞もらってすごい。

「でも俺はこれがあるから幸せ」

これを見つけることが人生大事なんだなあって改めて思いました。
この軸って人それぞれ違うと思います。あぁ就活っぽいけどまさにそう。
そしてその軸を見つけるためにはいろんなことに触れて、知って、受け入れて、その中で見つけ出していかなければと思いました。
選択肢の豊富さは幸福度の一因。でもありすぎるのも不幸の一因。どれ選べばいいかわからんし。そこから自分なりに取捨選択していくのが幸福につながるのかな。


そして更に余談。

結局人と比較してしまうし、逆に人と比較するからこそやる気も出るし。
それで自分でゴール定めて達成したところで上には上がいるし。

「満足の先に成長なし」

文脈めちゃくちゃだな。なんでこの話になったんだっけ。幸せってなんなんだろうね。


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