楽譜のお勉強【76】クロード・ヴィヴィエ『そしてまたこの見知らぬ街を見るだろう』
クロード・ヴィヴィエ(Claude Vivier, 1948-1983)は、カナダのモントリオールに生まれた作曲家です。殺人事件に巻き込まれて若くして亡くなったことから、作品だけでなくその人生にも関心が集まり、近年ではヴィヴィエの人生を題材としたオペラなども作曲された有名な作曲家です。しかし悲惨な人生の最後を迎えなかったとしても、ヴィヴィエの音楽は極めて個性的で、現代音楽の演奏会で異彩を放ち続けていました。ガムラン音楽をはじめとする、東洋の音楽に傾倒し、現代の音楽の中で旋律の扱いをどうするべきか取り組んだ作曲家です。作風が決まってからは、基本的に単旋律をどう作曲するか、どう聞くかということに腐心しました。本日読む『そしてまたこの見知らぬ街を見るだろう』(«Et je reverrai cette ville étrange» pour ensemble mixte, 1981)はヴィヴィエの一つの到達点を示す重要な作品です。
『そしてまたこの見知らぬ街を見るだろう』の編成は次のとおりです。トランペット、ピアノ、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、打楽器。打楽器は一人の奏者で、チェレスタ、ヴィブラフォン、タムタムの他にバリのゴング、チャンという小さなシンバル状の金属打楽器、トロンポンという10個一組の奥行きのあるゴングをひっくり返したようなガムランの楽器が使われます。作品は15分ほどで、6つの短い楽章からなっています。
出版楽譜には作者の言葉が添えられている楽譜とそうでない楽譜がありますが、現在のヴィヴィエの出版社であるブージー&ホークス社(以前の出版社はカナダ国外へのマーケティングが小規模だったため、遺族たちの働きによって現在の出版社に権利が移されました)は、積極的に存命の作曲家の言葉を前書きに掲載する出版社です。ヴィヴィエは存命ではありませんが、この作品についての端書きが残っていますので、掲載されています。
とても詩的で後半では具体的な音楽の内容が分かりにくくなっていますが、「特定のメロディー」への回帰が見られるのだろうと思えます。この楽譜にはさらにヴィヴィエ研究者のヤコ・メーンヒア氏(Jaco Mijnheer)が前書きを書いています。彼によると実際にこの曲は作曲者自身の過去作の中からほとんど逐語的にメロディーを再利用していることが分かるということです。具体的には1976年に作曲された4つのヴァイオリンと打楽器のための『ラーニング』(«Learning»)という作品です。また『そしてまたこの見知らぬ街を見るだろう』は、全体に渡ってモノディ(単旋律音楽)を貫かれて作曲されている点にも言及しています。
第1楽章は第6楽章とほとんど同じ内容で、前奏曲と後奏曲のような関係だと言えるでしょう。違いは、前奏曲ではゴングの一打が開始時に加わるのと、楽章終わりのゴング音を伸ばすフェルマータが、第1楽章では13秒と指定があるのに対し、第6楽章では「音が消えるまで」と指示されている点です。細かく装飾的に動く息の長い旋律がユニゾンで続きます。ときどきユニゾンの旋律に響きを付ける意味で3度の音程が加えられます。ただしこの音は和声的機能がなく、ただ3度で旋律に沿って一緒に動いているだけです。楽器の用法で面白いのが、どんなに装飾が細かくなってその楽器で演奏するのに一見相応しくないように見えても、おいそれとヘテロフォニックな処理をせず、とにかく同じ動きを全員にさせている点です。徹底した単旋律様式です。また、旋律の区切りを示す要素として小節が用いられている点も見過ごせません。旋律のまとまりが区切れるタイミングで小節が切れるので、各小節は長く、また変拍子が続きます。大フレーズの中には小フレーズも含まれるので、小節内にも短い休止はあるのですが、作曲者の考え方の設計が楽譜によく現れています。楽譜を思考の設計図として捉えて記譜をすると、演奏をみだりに難しくしてしまうこともあるのですが、フレーズの複雑さから考えて、この曲では逆にこの小節の扱い方は必須に思えます。具体的には6拍子、11拍子、7拍子、7拍子、8拍子、5拍子、9拍子、3拍子、10拍子と展開して曲が終わります。また、フレーズ終わりの重音も特徴的です。色彩を添えるだけの意味で3度が用いられると書きましたが、フレーズの終わりだけは4度になります。同じ音程関係がつらつらと動き続ける様子は中世のオルガヌム音楽を想起させますが、フレーズを締める音程が4度というのも、ちょっと中世的で面白いです。旋律自体はアジアの音楽からのインスピレーションであることははっきりと聞こえるのですが。
第2楽章は旋律が始まるまでに音程を動かさないリズムの展開を続けます。音価が細かくなっていって、また収まっていく書法です。そのリズム展開が収まってから旋律が始まりますが、チェレスタとピアノの二重奏になっていて、他の楽器はリズムを演奏していた音のドローン(長く伸びた保続音)を演奏します。ドローンは二重奏の旋律が終わるまで一貫して鳴り続けますが、鳴らし方が特徴的で、イレギュラーなトレモロを伴って演奏する指示があります。旋律パートは第1楽章と同様に細かな装飾的な動きを見せますから、保続音も同じように細かい音価で震えるような効果があって、アンサンブル全体を一つの楽器と皆しているような書法です。チェレスタとピアノには積極的に重音が使われ、3度ではなく、6度を主体とし、ときおり3度と5度を混ぜながらやや和声感を感じる展開になっています。
第3楽章は徹底したユニゾンで書かれています。装飾音の付き方は複雑で、ユニゾンの面白さが際立って聞こえます。重音もありません。第4楽章も同様に徹底したユニゾンで書かれていますが、第3楽章よりも遊びが多いです。まず、ユニゾンで演奏する打楽器にヴィブラフォンやチェレスタではなく、トロンポンを使っている点が特徴的です。楽譜の見た目の流れは他の声部と一緒ですが、西洋音楽の正しいチューニングで揃えられている楽器ではないため、ユニゾンの旋律に伴って同じ動きをする外れた線が同行する効果があります。またヴィオラとチェロは旋律をハーモニクスで演奏するため、これまでの楽章よりも繊細な響きを持っています。スコアで1ページしかない短い楽章ですが、4回繰り返して演奏されます。繰り返すたびにテンポが変わり、BPM=60、45、30、45となっていて、どんどん緩んでいき、最後に少し取り戻す感じです。テンポが落ちていく中で、トロンポンと他の楽器の聞こえ方が違った表情を見せてくるので面白かったです。速いテンポだと線の動きに耳が捕らわれがちですが、ゆっくりした動きの中では歪みがより味わい深く聞こえます。
第5楽章は最も安定したテンポ感と旋律の抑揚を持つ楽章です。下行もしくは上行音階的な旋律や、中心音の周りを刺繍音で彩っていくような進行など、それまでアジア圏の複雑な装飾の動きを聞き続けた耳にはかなり堂々とした表情に聞こえました。高音から開始し、だんだん旋律の軸が下がっていくという方向性を持っている点も、ノンシャランなイメージのそれまでの旋律の様子とは違います。
全体を通して聞くと、旋律が持つパワーや面白さを強く感じます。現代の新しい音楽を聴く演奏会では旋律が捉えづらい音楽が多いのですが、その中に混ざってヴィヴィエの音楽が演奏されると、相当インパクトがあることは確かです。前書きでのメーンヒア氏によると、ヴィヴィエは『そしてまたこの見知らぬ街を見るだろう』を作曲した当時、「メロディーの最も純粋な形にたどり着いたかもしれない」との言葉を残したそうです。まだ生きて新作を精力的に発表し続けていてもおかしくない年齢ですが、今年ですでに没後40年になります。またいろいろなところで彼の作品が演奏されていくことでしょう。
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