楽譜のお勉強【96】ジャチント・シェルシ『虹』
ジャチント・シェルシ(Giacinto Scelsi, 1905-1988)は、20世紀後半における西洋音楽の一つのムーヴメントとなったスペクトル・ミュージックという音楽を志向する作曲家たちに強い影響を与えた、イタリアの作曲家です。極めて独自の様式を持ち、単音の持つ表情に魅了され、ほとんど音を動かさずに響きを変質させたり、響きに含まれる倍音を聞いたり、音高を微細な音程幅で漸次的に変容させたりする音楽は、「響きの構造」そのものに関心を寄せた作曲家たちを大いに刺激しました。多くの人と関わりを持たずに、電子楽器による即興演奏を録音してはアシスタントが譜面に起こしたと言われており、その作曲姿勢の神秘性も相まって孤高の存在感を放つ作曲家ですが、仮にそのような彼の人間性に関するエピソードを伴わなかったとしても、その音楽は圧倒的な個性を持っており、音楽史に名を残したに違いないと思います。
他のあらゆる作曲家と同様に、シェルシにも作曲時期による作風の変遷があります。一つの音の中に潜り込んでいき、さまざまな表情を聴き出すような音楽様式があまりにも有名ですが、初期にはインド哲学に影響を受けた、旋法を用いた作品もたくさん残しています。しかしやはり他の作曲家と圧倒的な違いを示したのは一つの音のニュアンスを神経質に表現した音楽と言えるでしょう。そこで本日は2丁のヴァイオリンのための『虹』(«Arc-en-ciel» pour 2 violons, 1973)を読んでみたいと思います。
楽譜によれば、必須ではありませんがスコルダトゥーラ(特殊調弦)が推奨されています。「ポジションの取りやすさのために」D線をE(長2度上)かF(短3度上)に調弦することを推奨とのことです。この上方へと調弦し直す方法は、長2度でも相当楽器に負担をかけます。普段の調弦でも弦は十分な張力がかかっており、これにさらにテンションを加えていくと、指で押すのも極めて大変になりますし、弦がとても切れやすいです。そこであまりにも上方へ調弦させる場合にはその一つ上の弦と同様のものを貼って、下方へ調弦し直すということも行われます。シェルシの弦楽器曲ではよく用いられるこの3度の上方調弦を見るたび、シェルシのアシスタントであったとされるトサッティにしても、その後任を務めたとされる作曲家にしても、不思議な書法を繰り返し用いたものだと感じます。
『虹』の楽譜を実際に読んでみると、ほとんどの箇所をA線(2弦)とD線(3弦)で弾きます。それは、この曲全体がほとんどD5とE5の2度の範囲で完結しているからです。時折、開放弦のE5がE線(1弦)によって演奏されることはありますが、ほとんどの場合は中の2本の弦でD5とE5の間のニュアンスを表現しています。D5は最大四分音低く、E5は最大四分音高く音程を拡張させますが、いずれにしろ、この4分の曲のほぼ全ては長2度の中に収まっています。4弦は、楽譜9ページ(譜面の8ページ目)の下段で第2ヴァイオリンによって例外的に「イントネーションを伴わないノイズ」として微かに演奏されます。「微かに」というのは、第1ヴァイオリンが楽曲のクライマックスとも言えるフォルティッシモによる強奏へとクレッシェンドするところでピアニシッシモ(ppp)で、あたかも強奏による軋みが隣の奏者の弦に振動でも与えたかのように、演奏されるだけなのです。この9ページ・下段にフォルティッシモが第1、第2ヴァイオリンともに出てきますが、ここが楽曲のデュナーミクの最高点になります。レのような、ミのような音が震えながら、優しく優しく弱奏でクレッシェンドとデクレシェンドの波を描き、9ページかけて徐々に大きなクレッシェンドを導き出します。そして3ページかけて再び減衰していく音楽です。
響きのイントネーション(タイトル通りに解釈すれば虹の色調の移り変わる層の揺らぎでしょうか)は、強弱の他に、2音高のトレモロ(弓によるトレモロは見当たりません)、さまざまな速度のヴィブラート、微分音程ピッチの混合、グリッサンド、弱音器による音色の変更、などによって表されています。例えば冒頭では第1ヴァイオリンがpppで四分音高いレを2弦で演奏しますが、そこにトレモロでレとレ#を3弦で演奏していきます。最終的にレと四分音高いレの極めて不協和な重音で伸ばしますが、そこに第2ヴァイオリンが弱音器付きでレからヴィブラートたっぷりに入ってきて、四分音低くまでゆっくりグリッサンドを重ねる、というように始まります。重音としては不協和なクラスターですが、和音としての声部の独立性を感じることも、クラスターとしての厚みを感じることも難しく、まさに単音にニュアンスが作曲されているという感じです。
楽譜の表記も面白く、第1ヴァイオリンも第2ヴァイオリンも終始2段譜で記譜されています。上段がA線を示し、下段がD線を示します。例外的にE線が使われる場合には線名を示して上段に、G線が使われる場合は逆に下段を使う感じで、整合性が取れています。曲はほとんど同じ音域で音が伸びているだけ、とも取れるほど音は動きませんが、ニュアンスを作曲し尽くしているため、通常の弦楽二重奏の楽譜よりも盛りだくさんの情報が書かれた楽譜になっています。
一つの音に聞き入るという行為は、作曲家が響きの感性を養うためには重要なトレーニングだとも思います。しかしその中で出会った音の美を作曲様式とまで高めていくことは、とてつもない執念が必要で、なかなか困難だと感じます。シェルシのような作曲家が仕事を残してくれた後に、その音楽を勉強して音楽表現の深みを垣間見ることを許された私などの世代の作曲家は幸運だったとすら思えます。
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