新曲《トラペゾヘドロン》について
2024年最初の初演が2月25日に東京都江東区のティアラこうとうで行われます。チューバの橋本晋哉さんの委嘱で作曲したチューバとピアノのデュオ曲《トラペゾヘドロン》(«Trapezohedron» for Tuba and Piano, 2024)です。本日は初演前に少しこの曲についてご紹介いたします。
橋本さんと私の付き合いはそれなりに長くなりました。楽曲を最初に演奏していただいたのは2015年の東京現音計画というグループの演奏会だったと思います。その少し前から日本の現代音楽のシーンなどについてちょこちょこと話をするようになって、橋本さんの活動に共感することが多く、親しくなっていったと思います。これまでに橋本さんに初演していただいた楽曲は《ヘミオラの一族》(«Hemiola Clan», 2015)、《息の合う二人》(«Mutual Understanding», 2015)、《忽然と》(«Kotsuzen to», 2018)の3曲です。《息の合う二人》と《忽然と》の2曲は再演の機会にもしばしば恵まれ、折に触れて演奏会で取り上げていただきました。最初が2015年ですから、今回の作品は橋本さんとの協働10周年記念作品とも言えそうです。
チューバは原型を含めると大変歴史の長い楽器ですが、現在の演奏会用チューバが概ね成立したのは19世紀で、それほど歴史の長い楽器ではありません。そのため、レパートリーに偏りがあり、音域がとても低いこともあって、ソロ楽器として扱われることは現在も多いとは言えません。しかしチューバはかなり器用なところもある楽器で、速いパッセージも結構こなしますし、なんと言っても他の楽器では限界のある低音の発音の良さは代替できない魅力的な特徴です。
橋本さんのチューバのためのレパートリーを充実させる活動は長く、ほぼ彼のキャリアそのものと言えます。かくいう私も、親しくさせていただく前は一聴衆として、彼の活動を尊敬の念を持って聞いていた一人です。作品を取り上げていただくようになってからは、橋本さんのレパートリー開拓精神に敬意を表し、他のチューバ奏者もレパートリーとして演奏してみたいと思える作品を念頭に置いて作曲してきました。しかし、これまで橋本さんに提供した作品はいずれも編成がやや特殊なせいか、他の演奏者に演奏していただいたことがほとんどありません。今回作曲したチューバとピアノのデュオは、チューバ奏者が取り上げる可能性のある編成です。一般のお客様はもちろん、新しいレパートリーを求める多くのチューバ奏者に聴いていただきたいです。
タイトルになっている「トラペゾヘドロン」とは、「ねじれ双角錐」という多面体構造のことです。特殊なサイコロに用いられる正十二面体なども広義にはこの多面体に含まれます。この楽曲の原初のアイディアは12〜13世紀の作曲家ペロタン(ペロティヌス、Pérotin)のオルガヌム書法を研究しているときに思いつきました。ゆっくりと持続する定旋律の上に4度や5度がほどよく規則的に続くメリスマ唱(一つの音節に複数の音高が当てられる唱法)によるポリフォニーは、今日の音楽にない不思議な広がりを持つ響きで、しばしば現代の作曲家のインスピレーションになっています。かくいう私もペロタンの高貴な響きに酔いしれた一人です。古楽の特殊な演奏会以外で通常聴く機会が少ない作曲家とはいえ、大作曲家を多数生み出した西洋音楽史の長い歴史の中でも指折りの天才的な作曲家であったと思っています。
私の《トラペゾヘドロン》では、定旋律にあたる部分は鳴らされていません。しかし、執拗に繰り返される4度の響き、規則的な動きの多様から上声のオルガヌム部分だけでも定旋律部分が推測できそうな、不思議な仕上がりになったと思っています。規則に縛られずに自由に書いてある部分もあるので、いわゆるコンサート・ピースの趣もありますが、これは私があまり自分の音楽がコンセプチュアル・アートっぽい仕上がりになることを良しとしていないためです。同じような形が乱立し、冷たい構造物を作り出しているような雰囲気を、特殊な立方体に準えてタイトルを付けました。
もう一つ曲の中に仕掛けがあって、橋本さんに2019年に献呈した独奏曲《破れた空間にいくつかの線》(«Several Lines in a Broken Space», 2019)という曲があります。橋本さんに大変お世話になったことがあり、そのお礼に書いた短い楽曲です。こちらは未初演なのですが、今回の《トラペゾヘドロン》にはその楽曲が少し変形されて組み込まれています。ピアノの対旋律を伴い、「破れた空間」がより演出されたのではないかと思います。
2024年2月25日の演奏会では他にも面白い曲がたくさん演奏されます。聴いていただければ幸いです。