「山内雅弘作曲個展」を聴いて
2021年6月5日、私の作曲の恩師である山内雅弘先生が東京文化会館小ホールで個展演奏会を開催されました。昨年還暦を迎えられ、その記念だということです。ご自身で企画される個展は事務作業だけでも相当大変そうですが、なんとこのコンサートのプログラムは演奏される7曲全部書き下ろし新作という驚異的な取り組みでした。まだまだ表現したいことがたくさんあるのだと想像し、衰えぬ創意に尊敬の念を覚えました。
演奏会会場では人が溜まらないように、出演者のお出迎えやお見送りは禁じられておりましたが、少しだけ会場で先生とお話することが出来ました。本当に久しぶりにお会いできてとても嬉しかったです。演奏会後、個人的に先生にお祝いと感想のメールを送ったのですが、お返事で私のnoteのことについて言及されており、読んでくださっていると知ってありがたかったです。その際、「いつか私の音楽のことも書いてください」とおっしゃっていたので、恐縮ですが演奏会の感想を書いてみたいと思います。
プログラムは前半3曲、後半4曲の全7曲。いずれも10分から15分前後の演奏時間で、ボリュームのある演奏会でした。最初は2人のフルート奏者とコントラバスのための『虚無の構造』。フルートはバス・フルートとアルト・フルートを中心にコントラバスと音域的な親和性を図り、それぞれ持ち替えを含めてさまざまなフルートの音域が味わえる作品でした。また頭部管を外して頭部管を挿す部分の開口部を叩き、キーで音程を変化させてシンプルでポリフォニックな調性的音楽を奏でる箇所は可愛く、印象に残りました。コントラバスもピツィカート等で呼応して、柔らかい撥音が奏でるトリオは美しかったです。全体は堂々とした作品でしたが、その中で特に優しい音楽が記憶に残ったのは不思議なことではないと思います。演奏は間部令子さんと多久潤一朗さんのフルート、佐藤洋嗣さんのコントラバスでした。
2曲目は『OBOE Concerto!』というタイトルですが、三重奏曲です。オーボエ独奏者はオーボエだけを演奏しますが、他の2人は変わった楽器への持ち替えがあります。リコーダー奏者の鈴木俊哉さんはリコーダーのほかにスライド・ホイッスルを、一曲目でも登場した多久さんはそもそもフルートを吹かずにスライド・ホイッスル、鍵盤ハーモニカ、オタマトーン(!)を演奏しました。この曲は演奏会の前半での私のお気に入りでした。とにかくオーボエの荒木奏美さんの上手なこと、上手なこと。オーボエはかなり鼻にかかったような響きが特徴的ですが、その魅力は残しつつ、とても柔らかい音色を持った演奏家でした。細かいアーティキュレーションによって技巧的なパッセージも、音色がブレることなく、粒だった音で旋律の輪郭を明瞭に演奏していて、荒木さんの演奏はとにかく私にとってもインスピレーションの宝庫でした。オーボエと他の楽器の関係性も面白く、オーボエのフレーズの節目にスライド・ホイッスル2本がユニゾンで激しい下降グリッサンドを突然演奏したり、聴きどころの多い作品でした。オーボエがリードのみで演奏するコラール部分の美しさも記憶に残っています。
前半最後は『弦楽四重奏曲 第1番「Reflexion」』でした。山内先生にとって初めての弦楽四重奏だそうで、力強く作曲されていました。演奏はヴァイオリンの松岡麻衣子さん、甲斐史子さん、ヴィオラの安達真理さん、チェロの山澤慧さんでした。大変な熱量を感じる演奏で、聴き終わった後はなかなかの脱力感がありました。作曲家のニーズに合わせたさまざまな新しい奏法に柔軟に対応する弦楽器ですが、力ある演奏家たちが大変な精度で演奏していたと思います。ただ、充実した音響が色々な方向に張り巡らされていて、一つ一つの奏法からくる魅力を聴くというよりは、パレットで混ぜ合わせた効果を聴いていくという場面が多く、例えば1曲目に見られたシンプルで独特な音素材を素朴に聴くような箇所は見られませんでした。少しそういう肩の力が抜けた部分が聞けても面白かったな、と演奏が終わって音圧の余韻の中で思ったりもしました。この曲は私の知る山内雅弘という作曲家像に一番近いです。山内先生の音楽ではクライマックスとそこへの持って行き方が極めて重要な役割を果たすと思っているのですが、今回の7曲中そのような構成への意識が最も如実に現れていたように思います。四重奏ですが、響きの充実は管弦楽のような厚みを感じました。
前半と後半の間に休憩があり、現在談笑は推奨されませんが、少人数で集まってロビーで話したりしている人が多いようでした。私も東京学芸大学の仲間に偶然会って、10年以上ぶりで会う人なんかもいて、ちょっとした同窓会気分でした。
後半は前半以上に山内先生が新しい境地を開いたと感じられる内容でした。まずは1曲目、クラリネット・ソロのための『……そして、虚空へ』から。この曲が私にとって演奏会中で一番のお気に入りです。何度でも聴きたい。岩瀬龍太さんの独奏でした。ソロと言っても、リアルタイムの録音とディレイを駆使して、最大6重奏ほどになる効果を持った作品です。6重奏と聴くとまた厚みがありそうですが、ごくごく繊細な音を慎重に重ねる音楽で、音素材の細部の表情まで丁寧に聞き届けられている音楽です。機材の操作が結構大変そうに見えましたが、例えば音響技師を付ければもっと流暢な演奏になるのかと想像してみたり。けれど音響技師がいることを前提としてしまうと、途端にソロ曲としてのモビリティが低くなって、再演の機会を減らすことになりかねないかもしれないとも思えるので、決断はなかなかジレンマがありそうです。この曲を山内先生の新しい面と感じる一番の理由は、クライマックスらしいクライマックスの欠如でしょう。内省的に自己の音を見つめる作曲家の姿勢を聴きました。新曲7曲中に「虚」という文字が2回もタイトルに用いられていたことはちょっと面白かったです。
後半2曲目は2つのヴィオラのための『螺旋の記憶 II』です。大変面白く美しい曲でした。ビスビリャンドという2弦上を行き来しながらトレモロと波の間のような効果を出す奏法で下地を作り、2つの楽器が相互補完しながら旋律の断片を受け渡していく音楽。2つの楽器は完全に対等で全ての要素が有機的に結合されています。前にも登場した安達さんと甲斐さんの演奏はあまりにも一体となっていて、音楽に奉仕する演奏家に畏敬の念を覚えました。山内先生の作曲の上手さが最も聴けた作品だったように思います。上手すぎて震える。
後半の3曲目はとても面白い編成の曲です。トイ・ピアノとヴィブラフォンのための『差異について』。この曲を私は困惑しながら聴きましたが、思い返してみるとこれも大分新しい境地を開いた音楽のようでした。困惑した理由は楽器間の音量バランスの歪さです。トイ・ピアノはさまざまなメーカーがさまざまなサイズ、音色の物を色々出しており、探求してみれば面白そうな楽器です。ですが子どもが家で自由に叩いて遊ぶおもちゃの側面も持っているため、そこまで大きな音が出る仕様にはなっていません。比べてヴィブラフォンはコンサートでソロ楽器としても活躍する、音量に自信のある楽器です。どちらの楽器も活かした筆致の音楽でしたが、やはりトイ・ピアノがどうしても聞こえづらい箇所がありました。微かに弾いているノイズは聞こえるのですが、明らかに音で考えている音楽だったので、ノイズだけ聞こえれば良いというものでもないと感じました。そこが困惑の要因でしたが、考えてみるとこの曲は山内雅弘の音楽としてはそもそもかなり異質なものです。前述のクラリネット曲と違って分かりやすいクライマックスこそ形成されていますが、音の選び方がかなり即物的な印象を受けるもので、抽象的な造形物の趣がありました。豊かな響きを選び抜かれた音で効果的に聞かせる山内先生の音楽とは違う一面を聴きました。普段とはかなり別の方法で音を選んでいったような。作曲は色々な方法や美学がありますが、最終的には音を選ぶセンスが個別の作品の魅力に繋がります。60の齢まで作曲を続けるうちに人は「作風」を身につけますが、より興味深い音楽を作曲していくために違う方法を試し続けることは勇気がいることです。先生の創意溢れる挑戦に頭が下がると同時に、この先の先生の作品が楽しみになりました。演奏は山内作品を大事に演奏し続けてきたヴィブラフォンの會田瑞樹さんとピアノの大須賀かおりさんの熱演でした。
最後の作品『忘却のリトルネッロ』は6人の演奏家のために書かれた作品で、前述の間部さん(フルート)、岩瀬さん(クラリネット)、大須賀さん(ピアノ)、會田さん(打楽器)、松岡さん(ヴァイオリン)、山澤さん(チェロ)の演奏を馬場武蔵さんが指揮しました。リトルネッロとはリトルネッロ形式と呼ばれる音楽形式において、リトルネッロと呼ばれる主題が別の主題を挟みながら何度も繰り返し回帰するその主題を指す言葉です。ロンドと似ていますが、ロンドは主調回帰するのに対し、リトルネッロでは他の調に移っていきます。この作品は全7曲書き下ろしコンサートを締め括るのに相応しい、とても面白い音楽でした。ピアノのグリッサンドを中心とした強奏の反復音型から始まる音楽は、このモチーフをリトルネッロとして何度も聴くことになります。しかし、まずこのモチーフが乱暴で主題を聴くというよりは音圧を聴くタイプの作りになっています。「こんなにはちゃめちゃでいいの?」と心配になるくらいでした。そうすると、その間に挟まる別の部分はコントラストを作るために整った音楽が来るかと思いきや、別の主題群も相当複雑でカオスに近い様相です。何が起こっているのか集中して聴きました。いくつかの楽器が対になって用いられ、何重かの層を成しています。お互いの層は時間軸の形成に関係し合っていますが、どれも複雑に作り込まれ、まるで一聴した時にノリで理解した気になるのを拒むような迷宮を作り出しています。全体は轟音寄りな表現になっていたので、細部の作り込まれ方に耳がいくような仕掛けでもない気がします。集中して聴くことで何とか曲が成立している理由が顔を覗かせてくれるような音楽。私が常日頃作曲時に気にかけている、「何度聴いても発見のある音楽」の類だと思いました。何度も回帰しているリトルネッロ主題はもちろん理解できますが、複雑な轟音の層のために、回帰による安心感などを獲得する術もなく、超然とした作曲家の思惑の罠に絡め取られていきました。
大学と大学院で6年間も教えていただいた恩師の音楽について語ることは本当に憚られますが、先生ご本人が読んでみたいと仰ってくださったので、演奏会後にじっくり考えたあれこれを書いてみました。優れた演奏家の熱演も聴きごたえがあって、充実した一日となりました。大学時代の近しい友人たちに会えたことも幸せな時間でした。