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ヴィルトゥオジティ(名技性)の妙味

西洋クラシック音楽の古典の時代から演奏家の名技性は作曲家のインスピレーションでした。およそ人間業とも思えぬ指の動きや何か(当該楽器を演奏しない人間にとって一番分かりやすい演奏の「スゴさ」は機動性です)は驚嘆をもって迎え入れられ、多くの作曲家が楽器の名人に我も我もと曲を書きました。現代でもこの構図は生き残っていて、たくさんの作曲家が技量自慢の演奏家の技量に触発されて作曲しています。

しかし音楽の魅力は楽器の機動力に直結している訳ではありません。私にとって、音楽家が「技術がある」というのは、「必要なときにいつでも、自分が出したいと思っている音をコントロールして出すことができる」能力を持っている人のことを言います。この「いつでも」というのは言い換えると100%ということですから、人間である限りは不可能なのですが、しかしそのような印象を与える演奏家はたくさんいます。指や舌を軽やかに動かす曲でなくとも、音の状態によって優れた音楽家であることを、聴いている側は結構ちゃんと認識しているものなのです。人間業を越えていると感じさせるタイプの運動的なヴィルトゥオジティは、似たような曲が量産される温床ともなっているので、個人的にはなるべく冷静な目で見ているように心がけています。

19世紀のドイツの風刺画家ヴィルヘルム・ブッシュ(Wilhelm Busch, 1832-1908)は、演奏家の名技性の面白みを誇張した戯画『Der Virtuos(ヴィルトゥオーゾ)』を発表しました。この戯画に描かれているような名技性の誇張は、現実の技術を更に乗り越えているので、どんな曲がこの中で演奏されているのか、とても興味をそそります。この筋に沿って作曲してみるのも面白いかもと思っています。以下に全ページを掲載します。

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『ヴィルトゥオーゾ』

新年の演奏会

ピアノの巨匠が新年の挨拶をします。

彼は喜びと好意に満ちて、彼の芸術の奇跡を全てお見せします。

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序奏 ー スケルツォ(諧謔的な音楽)

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アダージョ(ゆっくりな音楽) ー 感傷的なアダージョ

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弱奏で ー 鈍く(ここでは「ごくごく弱奏で」)

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荘厳に ー 気まぐれに

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半音階のパッセージ ー 悪魔的なフーガ

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強く、速く ー とても強く、とても速く

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炎のようなフィナーレ ー ブラヴォー、ブラヴィッシモ!

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