楽譜のお勉強【82】ノアム・シェリフ『ラ・フォリア変奏曲』
ノアム・シェリフ(Noam Sheriff, 1935-2018)は20世紀後半から21世紀はじめを代表するイスラエルの作曲家です。同じく20世紀を代表するイスラエルの作曲家パウル・ベン=ハイムに作曲を学び、のちにベルリンでボリス・ブラッハーにも師事しました。また、ザルツブルクではイゴール・マルケヴィチに指揮を師事し、指揮者としても活躍しました。テルアビブ大学で作曲を教え、指揮者としてイスラエル室内管弦楽団やハイファ交響管弦楽団の音楽監督を務めました。
シェリフは基本的にネオ・クラシカルもしくはネオ・ロマンティックな表現を好み、彼が活躍した時代としては保守的な音楽を書きました。今回読んでいく管弦楽曲『ラ・フォリア変奏曲』(»“La Follia“ Variations« for symphony orchestra, 1984)は、そういったシェリフの音楽観を如実に示した作品です。
楽譜を読み始める前に、少し「ラ・フォリア」という主題について触れておきます。「フォリア」は、西洋音楽史の中で広く知られた旋律の中で最も古いものの一つです。時代の変遷とともに形を変え、大きく分けて二つの「フォリア」のメロディーが知られています。私たちが今日聞くことが多い「フォリア」の旋律は、ヴィヴァルディのトリオ・ソナタやコレルリのヴァイオリン・ソナタといった、バロックの作曲家によって作曲されたものです。この旋律は原初の旋律とは少し形が変わっていて、三拍子系の旋律となっています。今日広く知られるこの旋律に最もよく使われる和音進行は、おそらくリュリによるものだと言われています。原初の旋律は15世紀の終わり頃、ポルトガル辺りで起こったであろう舞曲のメロディーと言われています。基本的には同じメロディーですが、四拍子系の速いテンポのメロディーでした。先述のリュリやヴィヴァルディ、コレルリといった大作曲家たちがこの旋律を用いて自作を書いたことからも分かるように、この旋律は大変多くの作曲家を魅了し、多くの音楽で用いられたものです。特にバロックの作曲家に用例が多いのですが(バッハ、ヘンデル、マレ、ジェミニアーニ、パーセル、ムファット等)、古典派、ロマン派、近現代と、この旋律は生き残ってきました。分かっているだけでも150人以上の作曲家がこの旋律を用いて作曲しています。日本でも、作曲家・八村義夫さんの絶筆が「ラ・フォリア」であったことは有名です。
現代では調性を忌避する作曲家も多いため、強く調性感を感じる主題は昔ほどには積極的に用いられなくなりました。シェリフはこの主題にもう一度スポットライトを当てます。主題がはっきり示されるのは400小節中の半分を過ぎた256小節からですが、冒頭からそのモチーフを色々な音価に変えた変奏が聞かれます。作品の編成は3管編成の通常のシンフォニー・オーケストラで、4人の打楽器奏者を伴います。管楽器の持ち替えはなく、3管はそれぞれ通常管2本とピッコロ、イングリッシュホルン、バスクラリネット、コントラファゴットとなっています。演奏は18分ほどです。リンクを掲載した動画は、22分ほどの時間ですが、18分ほどで演奏が終了した後、解説トークが付いています。作曲者手書きのスコアの記譜が極めて特殊で、クラリネットとバスクラリネットは実音記譜(Cスコア)として記譜され、ホルンとイングリッシュホルンは移調記譜(5度上げ)で記譜されています。実音記譜と移調記譜が混ざっているスコアを私は初めて見ました。とても読みにくいです。
構成はプロローグとエピローグの間に8つの変奏が入っています。変奏の番号は最初の第1変奏にしか振られていないので、実際には8つ以上もしくは8つ以下の変奏なのかもしれませんが、テンポ指示が変わるタイミングで大きく音楽の様子が変わり、主題も新たに提示されるため、8つと数えました。1つ、間奏的なエピソードが混ざっているので、実際には7+αかもしれません。第1変奏のみ番号が振られている理由として考えられるのは、第1変奏はプロローグから地続きで、テンポの変更が行われないためだと思われます。
プロローグは主題の最初の3つの音を自由に音価を短くしたり長くしたりしたものを2本のフルートでうねうねと被せるところから始まります。ニ短調を思わせるレ、ミ、ファの音で作られていますが、添えられたチェロ、バス、ハープ、ヴィブラフォンの音はこれに当てはまらない音が多く、調性感を少し有耶無耶にしています。ただし、2小節後にはヴィオラが高音のレをハーモニクスで保続するので、主音はかなり強調されます。しかし続く小節からオーボエ2本、ファゴット2本が加わるのですが、オーボエはフルートの音高を半音上げた変ホ短調、ファゴットはホ短調っぽく、さらに半音も自由に埋める仕様で、調性感は一気に失われます。また、冒頭ではかろうじて残っていた原旋律の音価も、5連符や7連符が混ざってくることでミクロポリフォニーの世界へと突入していきます。やがてクラリネットも音群の世界に突入し、弦楽器群がクラスター的な和音を添えながら、打楽器へと受け渡し、プロローグのクライマックスを作ります。クライマックスが収束してから、ホルンとトロンボーンが第1変奏への前奏を短く奏してプロローグが終わります。
第1変奏は古典的な対位法を感じさせる弦楽器中心の音楽になります。他の楽器も適宜、弦楽器にない和音構成音を補完しますが、弦楽器同士の関係がリズム的にも音高的にも相互補完的であるため、主軸は弦楽器にあると言って良いでしょう。弦楽器はソロから開始し、トゥッティへと厚みを増していく書法です。第1変奏は曲が進むに連れて使用音域が増していき、跳躍音型も増えていきます。一通り盛り上がった後にフルートとファゴットの二重奏が耳を引きますが、ここでは長7度が特徴的に聞こえます。長7度を短2度に書き直してみると、主題の短2度の動きをオクターブ関係を変えて長7度を導き出していることが分かります。音域を拡大していく際に有用な方法かと思いますが、安易に表現主義的な無調感の獲得を目指しているようにも聞こえ、私にはやや安っぽく聞こえました。
第2変奏はプレストで非常に速い音楽です。5/8拍子で元の主題も大きく変更されています。主題から音価を排して8ビートの律動のみを残し、その、モチーフを縦横に配置することで作曲されているのだと思います。ソロが生きる音楽ではありませんが、さまざまな楽器の組み合わせが聞かれ、バランスよく生き生きとした疾走感を作り出しています。これに続く第3変奏のアダージョは、極めて節約された管弦楽書法によってミステリアスで美しい表現を獲得しています。第2変奏からのコントラストも効いています。長く伸ばす音価に、主題の方向性をかろうじて与える解決音が短い音価で付与される断片が、相乗に薄く重ねられています。オーケストラの地理上も、さまざまな場所から意味深で魅惑的な響きの断片が聞こえてきては消えていく様子は、とても印象深いです。シロリンバとハープが持続を作る試みを開始し、弦楽器が乗っかって持続が作られ始めますが、ハーモニクスの音色を多用したりなどして、繊細で神秘的な風景は壊れません。この作品の聴きどころの一つだと思います。
第4変奏は打って変わって打楽器アンサンブルが音楽を導いていきます。トムトム、テンプルブロック、シロリンバが立体的なリズムパターンを演奏し、弦楽器のよくアーティキュレートされたスタッカートを伴う16ビート調の変奏が対位法的に書かれています。弦楽器の対位法はすぐに管楽器に引き継がれます。打楽器は常にリズムのリフを変えながらも、第4変奏を通して主導的です。全員の合奏で16ビートのガチャガチャした音の渦になってから突如、静寂が訪れます。
静かなロングトーンから始まる第5変奏、アンダンテ・ソステヌートでようやく主題の原型を聴くことができます。ロングトーンが3小節分伸びたあと、第1ヴァイオリンの独奏で主題が演奏されます。主題はフルートとファゴットに受け継がれ、いかにもバロック音楽様の世界に入っていきます。この部分は「主題」と呼んでも良さそうですが、オーケストレーションの仕方はやはり変奏の域に入っているのです。フルートとファゴットが主題を奏しているとき、シンバルが薄く伸ばしたノイズを添えます。このシンバルの音色は本当に印象的で、音風景そのものをセピア色に変えています。主題はさらにトロンボーンに受け継がれますが、ここではトムトムとスネアドラム(スネアなし)で少しリズムを持たせています。このまま再び音楽は生き生きとしたものへと展開していくのかと思いきや、第6変奏で更なるリダクションが起こります。第6変奏はポコ・ピウ・モッソで、本来なら少し速くなるはずですが、印象としてはさらにゆっくりになっています。音はいよいよ節約され、主題は奏されません。主題を支えていたバスのラインだけがホルンとハープ、クラリネットによって奏されます。その線を補う和音のようなものをフルートが演奏しますが、2本のフルートは空5度の平行和音を奏するのみ(例外的に完全4度あり)で、一層空虚な感じがします。バス・ラインの終わりとともに音楽は動き出しますが、5度を基調とした平行の連続は崩れません。充分に浮遊感を感じた後、次第に楽器が増えていって、次のエピソードへと盛り上がっていきます。
続くエピソードは他の変奏に比べて短く、変奏というよりも間奏のようなものかとも思います。ポコ・アダージョで弦楽器のクラスター和音の上行グリッサンドから始まります。ここでは主題の複雑な変奏の様なものをハープとヴィブラフォンが演奏していますが、何より耳に新しいのは、木管楽器群が話し言葉で演奏する点です。また金管楽器奏者はハミングなどで歌っています。木管楽器奏者が話しているのは、「フォリア」、「スペインのフォリア」などといった言葉で、主題のタイトルを言っているだけですが、なかなか複雑に対位法的に処理されていて、短い断片ですが、面白いです。
第8変奏というか最後の変奏はアレグレットで快活な音楽です。変拍子で主に5/8と6/8の交代で進みますが、8分音符を刻むタンバリンの推進力に、オーボエの主旋律はルネッサンス音楽の器楽作品の様にも聞こえます。オーボエの旋律は高音のフルートが引き継ぎますが、これはリコーダーの音色を彷彿とさせます。響きの様子はむしろバロックよりも遡った感じがして、先述の前期「フォリア」の主題を思い起こさせます。その主題が終わった後は、急にトロンボーンの下行グリッサンドの渦が始まって、現代に引き戻されます。
エピローグはたっぷり引き伸ばされた主題が弦楽器群で層状に構成され、徐々に音価を戻していきながら、プロローグの音楽へと戻ります。プロローグと同様のものに再帰してから展開することはなく、クラスターにもならずに、モチーフはどんどん短くカットされていきます。そして余韻の中で音楽は消えていきます。
取り立てて変わったことをしている音楽ではないのですが、構成が優れていて、それぞれの音楽的シーンの聞きどころを逃すことがありません。「ラ・フォリア」の主題にしっかり取り組んだ現代の管弦楽曲は少ないです。過去には驚くほどに多くの作曲家を魅了したこの旋律に真っ向から取り組んだ作曲家シェリフは、その理由を見出したのでしょうか。自作ではない主題を用いて作曲することは、20世紀のある一時期にかなり廃れましたが、最近また人気の創作ジャンルとなっています。最近では変奏曲を書くというよりは、引用をして、作曲家の音楽観を代弁させたり、分析的見地から作曲家の興味の対象を絞って実験的な試みをしたりすることが多いようです。シェリフの変奏曲は西洋音楽の伝統に根差したものですが、今日の作曲技法も用いられています。作曲家が自分の音楽的立場を示すのには、とても分かりやすい方法だと感じました。
文中で挙げたコレルリとヴィヴァルディの『ラ・フォリア』をアップしておきます。
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