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音楽の詩学

昨年の春頃、私はドイツのデトモルトという町に住んでいて最初のロックダウンに怯えながらも、作曲やオンライン授業をしながら生活していました。家にいる時間が極端に長くなってSNSを開く回数が増え、友人知人たちが○○日チャレンジという投稿をしているのをよく目にしました。それぞれのお勧めする本のカバーを紹介するブックカバー・チャレンジや人生に影響を与えたCDを紹介するCDチャレンジ等、私も興味を持って見ていました。紹介するたびに次の人にチャレンジ・バトンを渡すシステムで、まるでチェーンメールのようでしたが、移動の時間が無くなり時間がたっぷりある状況下では楽しいものでした。上述のブックカバーとCDのチャレンジは私にもバトンが周って来たのでFacebook上で投稿しました。ブックカバー・チャレンジは本の内容は紹介せず、表紙のみ紹介するという仕様だったので、そのようにしていました。そこで紹介した本のほとんどが私にとって創作のインスピレーションになっている本なので、本当はとても内容をご紹介したかったのです。今日は私の創作において、特に顕著な霊感を得た本を少しお話しします。

その本はヨアヒム・ブルマイスター(Joachim Burmeister, 1564-1629)の『音楽の詩学』(»Musica Poetica (Musical Poetics)«, 1606)です。17世紀初頭に出版された音楽理論書です。詩学という言葉は、字面から詩情を感じるために誤解されがちですが、アリストテレスの著作のタイトルとして歴史上に現れた言葉で、「創作術について、詩作の技術について」というほどの意味です。すなわち、「ムジカ・ポエティカ」という言葉は「音楽(作曲)の技法について」というような意味なのです。併せて用いられる用語に「ムジカ・テオレティカ」(Musica Theoretica)や「ムジカ・プラクティカ」(Musica Practica)という言葉があります。テオレティカは英語のtheoryに通ずる語なので、今日の音楽理論というとポエティカよりもテオレティカの方が近い感じを覚えますが、テオレティカの語の元に論ぜられる音楽理論とは、例えば調律の問題や、それに基づく楽器の理論の問題等がテーマになっていて、今日用いられる「音楽理論」の語とは意味が乖離しています(プラクティカは実施のような意味なので、演奏の実際に関する議論で、今日的な意味と離れていません)。

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ブルマイスターの『音楽の詩学』が西洋音楽史上とりわけ重要なのは、当時の作曲の技術を譜例付きで出版した点です。私が読んでいる本はイェール大学出版から出ている原語(ラテン語)と英語の対訳版です。ラテン語の原書に掲載されている譜例は文字譜が多く(定量記譜の譜例もあります)、スコアや音符の形を読み慣れた現代の音楽家にはやや難解なものなのですが、対訳版の英語のページには現代の記譜による譜例が掲載されていて、とても読みやすい本です。

内容は16のチャプターから成っており、記譜について、声部について、協和音と不協和音について、カデンツについて、旋法について、メロディーやハーモニーの終わり方について、歌詞の付け方について、等のテーマを当時の重要な作曲家の作品を例に取って解き明かしています。取り上げられている作曲家は、オルランド・ディ・ラッソ、クレメンス・ノン・パパ、アンドレアス・ペヴァナージ、ギアチェス・デ・ヴェルト、イヴォ・デ・ヴェント等、今日でもしばしば演奏されている作曲家の作品が並びます。とりわけラッソの作品はたくさん語られています。

ラテン語やギリシャ語の響きが好きな私は、この本から頻繁にフレーズや単語を引用して自作のタイトルとして来ました。例えば『ヒュポムネーマタ』(»Hypomnemata« for piano and orchestra, 2020-2021)、『アポカピ、アナディプローシス、オクセシス』(»Apocope, Anadiplosis, Auxesis« for piano, 2020)、『モトゥス・インテルヴァロルム』(»Motus intervallorum« for violin and piano, 2020)『音型に関する考察』(»Hypomnema de motu musico« for 2 pianos, 2 percussionists and electronics, 2011)といった作品のタイトルをこの本から拝借しました。

当時の作曲技法が面白く、それを読むこともインスピレーションの一つです。ただ、現在の対位法もルーツはこの時代から来ているので、当時の作曲技法をなぞって作曲しようと思うことはありません。逆に、当時の作曲上の禁則がとても面白く、当時の人々が「ぎこちない音楽の動き」と感じた対位法的処理に強い創作上の刺激を受けました。とりわけ『音型に関する考察』や『モトゥス・インテルヴァロルム』には禁則から発展させた書法が散りばめられています。まだまだ面白そうな禁則の深掘り。書法上の禁則をブルマイスターは11のカテゴリーに分類しています。現代の和声理論でも、連続1度、連続5度、連続8度は禁則とされていますが、この連続という禁則をブルマイスターは「トートロジー的発話」(タウトエピア、Tautoëpia)という語で説明します。類似音型が同時に鳴っているというほどの意味ですが、このような禁則の名前にも不思議な魅力があります。禁則に魅力的な説明や名前がついていると、そこを出発点として普通ではない美を湛えた音楽が生まれそうな予感がするのです。

残念ながら『音楽の詩学』の日本語版は現在までのところ出ていないようです。この本を初めて読んだのは、私が東京学芸大学在学中に受講した久保田慶一先生のゼミでした。長年に渡って私の作曲活動に影響を与え続けている書物に出会えたことに感謝しています。日本語で手軽に読めるものではありませんが、作曲の歴史に興味のある方にはぜひお勧めしたい一冊です。

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