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ニッティングピースの感想を緊急で書く。なぜなら今すぐ観てほしいから。

11/21世田谷パブリックシアターでの観劇。

現代サーカスカンパニーであるシルクールをみるのはこれで3作目。
医療技術がテーマの「99% unknown」、難民問題がテーマの「Limts」の二つに較べ、今回の「Knitting Peace」はかなり抽象度が高かった。
そして、3つの中ではこれが一番好きな作品だと感じた。
だので、必ず何か文章にしておかなければらない、それも可能ならば東京最終公演前に、という使命感でいまこれを書いている。

本作は日本語で言うと「平和を編む」というタイトルだが、紐でつくられる編み物、というテーマがそもそも高い抽象度を持つように思う。

DEATH STRANDINGというゲームを作った小島監督は「最初に人類が発明した道具は、悪しき者を遠ざける棒、次に良き者を引き寄せる道具の紐」と述べている。紐、というのは、人類にとって根源的な意味を持つ道具だ。

Knitting Peace上演開始前から舞台上で白く太い紐で大きな編み込みを作っていた女性は、その編み込みを着て、天使の羽根のように振る舞うところから公演は始まる。つまり、最初から見立て遊びでスタートしている。舞台にはニットで作られた人形もあったが、よく考えてみればこれも見立ての一種だ。ニットという具体的な物を扱っているのに、ニット自体に解釈の余地がある。

舞台全体、ほぼ白一色のニットの中、少しの赤色のニットがある。全てのサーカス道具は白いニットで覆われている。これはビジュアルが優れているだけではなく、余白があり、解釈があり、それはつまり言い換えるならば「遊び」がある。

舞台上で見せる演技は数多くの種類があり、綱渡り、エアリアルシルク、倒立、玉乗り、鉄棒、シルホイールなどで、これは一般的な現代サーカスと較べてかなり多く、普通は種目の多さはテーマ性の無さに通じてしまう。

しかし、舞台上の4人の出演者は、それぞれ人格を有し、楽しそうにコミュニケーションを取る。この種目たちは、4人の人間による遊びとして演じられているため、テーマとしても一貫しているように感じた。人とは、遊ぶものだ。

別の機会でお会いした出演者のミカエル氏はとても悪戯好きに見えたが、この舞台でも悪ガキとして自由に遊んでいた。もう彼が出てくるだけで会場中が笑ってしまうほど。
しかし、そんな彼が倒立をすると、その美しさにみな息を呑んでしまう。人が紐と共に倒立をするとなぜこんなにも心揺さぶられるのか。わからない、ただ美しい。

ほかの演目たちも、技の難しさを競うのではなく、創造性の高さで見せている。垂直に付いたスイベルをつかって高速回転するロープや、ほどけていくハシゴ、空中での4人での編み込みなど、いままで観たことがない驚かされるクリエイションだった。

紐、編み込みんでほどく行為、ニットで覆われたオブジェ。それらを利用してサーカスアーティスト4人+音楽家が紡ぎ出すクリエイティブで幸せな遊びと願い。それが今回の舞台を現す言葉のように思う。

音楽家といえば、シルクールは毎回生演奏がとても良いが、今回も本当に良かった。この音楽でなければ魅力は半減していたのではないだろうか。

長年このサントラを聞いてきてたので(いつどこで手に入れたのかも覚えていない。19年前観た99%unknownを思い出したいときに聞いていた)、今回初めて本作を観劇できて、やっと宿題が片付いた気がした。今後はもっとこのアルバムを聴く機会が増えそうだ。

帰り際、Knitting Peaceツアーマネージャーに「(公演を実現していただいて)ありがとうございます」とお伝えしたところ、「都市ごとに反応が違うので、愛知か富山にも来て下さい」とのお返事。

パンフレットには「編み物をしている間は、武器を手にすることもできない。」など、本作を理解するための手がかりも書かれている。ただ、この作品が持つ抽象さ、余白が、鑑賞者それぞれに興る感情にバリエーションを持たせているのだと思う。

Knitting Peaceのために富山に行くことも、全然アリだな、といま少し揺れている。

いますぐ観てほしく、東京最終公演まであと90分なのに、長文になってしまった。一人でも多くの人がこの舞台を体験することを願う。

追記)
今日の注目記事へのピックアップありがとうございます。
まだ愛知、富山が間に合います。


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