考えないようにする MV -Episode0-
彼女たちは、初めから選ばれる運命だった───。
乃木坂46 33枚目シングルに収録された5期生楽曲「考えないようにする」について感想を書こうと思います。
もうすでに考察はし尽くされていると思いますが、純粋に私の目に写っているものを書きました。書きたい要素がありすぎてとっ散らかりそうだったので重要シーン含め結構削ってしまっていますが、メモ書きだと思って気軽に読んでくだされば幸いです。
↓MV
良いMVですね、めっちゃ好きです。
歌詞などを見ると恋愛楽曲なのでMVにも(百合)恋愛要素が含まれているのですが、それと同時に5期生のストーリーも組み込まれていると思っていて、5期生が好きなわたしは結構後者に心を打たれました。
百合話として見るのが普通だと思うのですが、少し違う見方を提示できればなと思っています。
ストーリーの本筋や、そこから逸れた純粋に好きなシーンまでゆるっと書いていきます。MV見ながら読んだ方が良いかと思います。
では、お時間ある方よろしくお願いします。
乃木坂46 5期生 Episode 0
時系列で追っていく前に、前提の共有から。
本MVでは5期生がお互い出会う前の物語が描かれていると推測しています。
MVを"ざっくりと"大きく2つに分けると、「〜5:18」と「5:19〜」に分かれます。
まず5:19のシーンの本に着目してください。
井上和が話しかけるシーンでの、冨里奈央が手に持っている本には葉っぱが挟まっています。これは2番Aメロで挟んだ葉っぱだと思われます。
次に5:18のシーン
こちらには本に葉っぱが挟まっていません。
一見、繋がっているようにみえるシーンですが、別の世界線であることが示されています。
ここからこのMVには"現実世界”と”想像の世界”の2種類が存在していると考えており、さらに想像の世界を分解すると"本の世界”と"思考の世界"があると思っています。
世界線別に並べると(イントロは総集編みたいなものなので一旦無視)
-現実世界
1番歌い出し前、2番Aメロ前半、曲終了後
-本の世界
1番すべて
-思考の世界
2番Aメロ後半〜最後まで
というふうに読み取っています。
彼女たちは歩み始めた(曲後)
5:19〜(現実世界/曲終了後)
順序は逆になりますが、座っている冨里に井上が話しかけるシーンから。
冨里が井上に対して敬語で、初対面ではないにしろ、どこかぎこちない会話を繰り広げています。また一ノ瀬と川﨑は、井上に話す時は顔見知りのような感覚で話し、冨里に対しては初めて会ったようなリアクションをとっています。
そして、以下の冨里の
この語りにのせて、冨里+井上一ノ瀬川﨑、池田菅原中西、五百城奥田小川の3組に分かれて駅に入っていきますが、この3組はそれぞれお互い知り合っていない様子がうかがえます。
このことから、”偶然”同じ行き先(乃木坂46)に向かっている、今は見知らぬ未来の仲間たちが描かれているのではないでしょうか。
また、私服衣装のシーンが何度か出てきますが、加入前の彼女たちを表しているのだと解釈しています。
シンクロの森とはなにか
冨里が読んでいた「シンクロの森」
これには乃木坂46の物語が書かれているのだと思います。
”シンクロ”もシンクロニシティからおそらく拾ってきているでしょうし、森というのも、ある意味乃木坂46という閉鎖的空間を表現するには言い得て妙な言葉だと思います。例えば逃げ水の伊丹家や、ドンピシャなところでいくと最後のTight Hugでは森の中のシーンが描かれています(森というのはそこからの引用だと思っている)。
また少し話が逸れますが、ダンテ「神曲」の地獄編の冒頭では”深き森を彷徨っていた”という文章があり、そこからの引用もあるのでは?と妄想を広げています。
では、前提と周辺情報は簡単に抑えたので時系列に追っていこうと思います。
冒頭〜5:18のシーン
(冒頭の語りのシーンは飛ばします。)
イントロ
0:33〜の机を間に向き合ってダンスするシーン。
衣装や振り付けが乃木坂46らしいところから、この衣装ないしこのロケーションのシーンは乃木坂46を表現していると解釈しています。
イントロの最後に冨里奈央が「シンクロの森」を読み始めるシーンが入ってきます。ページのめくり具合からいくと、ちょうど目次を読み終えたあたりでしょうか。
1番では本の中の世界(乃木坂46物語)が描かれていきます。
シンクロの森 第1章(1番)
1番
冨里奈央と井上和のダンスシーン。ここは非常に重要なシーンかと。乃木坂46に加入して、初めての仲間との出会いを表現しているのではないかと思っています。このシーン少し頭の片隅に残したまま読み進めてください。
(サビまでの3組についても書きたいことはありますが飛ばします)
1番サビ
ここは純粋に乃木坂46としてパフォーマンスをしているという解釈でいいかなと思っています。
初めての楽曲パフォーマンスがこの1番サビで行われるのですが、地獄の門の前で背を向けて全員で踊っています。この地獄の門には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という銘文があるらしいのですが、希望を捨てる=絶望の手前でこちらを向いてパフォーマンスする姿は、5期生最初の楽曲「絶望の一秒前」に通ずる部分があると思っています。
期待と不安(2番)
2番冒頭
葉を栞にして本を閉じるシーン。
シンクロの森という本を読むのをやめ、冨里本人が何か思いを巡らせるシーンに移ります。(MVでの冨里奈央は本を読んでいるときはその世界にのめり込み、本を読むのをやめると色々と考えてしまう子なんでしょうね。)
もし乃木坂に加入したらどのような子たちが仲間になるのだろうか、1番の本の世界を飛び出して想像を膨らませていくのが2番ではないかなと思っています。
ここから思考の世界へ。
2番Aメロ後半〜Bメロ
井上一ノ瀬川﨑、池田菅原中西、五百城奥田小川の3組のシーン。
ここは2パターンの解釈が考えられます。
-パターンA
冨里がそれぞれ3組の主人公を自身に置き換えて考えるシーン
自身を各組(川﨑/中西/五百城)に投影した世界が映し出されます。
川﨑の1人で思い悩んでいるときに手を差しのばしてくれる、
五百城の辛く苦しくなったときに手を差し伸ばしてくれる、希望的なシーン。
そして中西の自分の気持ちに気づいてくれずに孤独を感じ悄然としているシーン。
期待と不安が渦巻く中で、冨里奈央が乃木坂に加入してどんな人と出会うのか。
-パターンB
各シーン2対1の構図ができており、恋愛要素が入ってきます。ただ池田菅原中西はたしかに恋愛的要素が強く見受けられますが、その他2組に関してはどちらかというと友情的な要素の方が色濃く出ているようにわたしの目には映りました。
池田菅原中西は見たまま受け取っていただければ良いと思いますが、残りの井上一ノ瀬川﨑、五百城奥田小川については本noteの最後に書きます。
いずれのパターンにせよ、バラバラと足並みが揃っていない一方で、手を取り合って一緒に前に進んでいくようなシーンが2番サビ前にかけて表現されています。
2番サビ
バラバラだった彼女たちが次第に揃っていく様子が表現されています。
2サビの最初のカットと最後のカットで集合写真のような映像が差し込まれます。ちなみに、2サビの最初のカットでは五百城は冨里の手を置いていません。最後のカットでは右肩に手を置いています。そして、Cメロラスサビ前では、、、(Cメロの章へ続く)
何を表しているのでしょうか。
さて、2番(思考の世界)で見せたかったことは何か?繰り返しにもなりますが、
1つ目は冨里奈央の意識内の話で、
冨里奈央が抱く期待と不安だと思っています。
乃木坂46に飛び込んだときの、自分だけ孤立してしまわないかという不安と、一緒に歩んでくれる仲間への期待が人間模様として描かれています。
2つ目は冨里奈央の意識外の話で、
”同調しなくとも自然とシンクロし始める”(だからこそ彼女たちは仲間になったのだ)ということが表現されているではないかと思っています。
見つめる先には・・・(Cメロ)
Cメロが最も重要なシーンだと思っています。
このシーンで重要なことは3つあります。
1つ目は、ここまでMVを見ていてお気づきになった方もいらっしゃるかと思いますが、冨里奈央以外1度もカメラ目線がないということ。
Cメロでようやく、全メンバーと目が合うこととなります。
(一部カメラ目線している部分がありますが、おそらく無意識的なものだと思っている)
2つ目。Cメロの最後の集合写真のカット。五百城は両手を、冨里の両肩にそれぞれ置いています。
2サビ頭では五百城は冨里の方に手を置かず、2サビの最後では冨里の右肩に右手を置き、このラスサビ前には冨里の両肩にそれぞれ手を置いた。
そして、3つ目は、Cメロの最初は井上和と冨里奈央のツーショットだったにも関わらず、最後は井上和のソロショットになっている。
これら3つの要素を詳細化すると、
1.全メンバーと目が合う、と書きましたがそのメンバーたちの視線の先には冨里奈央がいるのではないか。つまり、これまでは冨里奈央しかいなかったはずの世界(=冨里奈央が作り出した想像の世界)に自分と他者との繋がりが生まれた。
2.2番サビ頭〜最後の集合写真でお互いを仲間であると認識し、
ラスサビ前の集合写真で現実世界で仲間として再会することを約束した。
3.Cメロの最初で井上和と一緒に写っていたはずの冨里奈央はなぜ消えていってしまったのか。それは現実世界でまた仲間として出会うために思考の世界に別れを告げた。
そのような意味が込められていると思います。
そして、冨里奈央が1人で歩いていくシーン。
冨里奈央は私服で、その他のメンバーは衣装を着ています。
冨里奈央が歩いていくのを後ろから見送るメンバーたち(未来の仲間)。
ただ、冨里奈央が振り返るともうそこにはいなかった。
これは、本の世界や思考の世界から、現実世界へ少しずつ戻っていくさまが表現されていると思っています。
駆け巡る、そして現実へ(ラスサビ〜エンド)
ラスサビはこれまでの出来事が走馬灯のように駆け巡るシーンだと思っています。2番でバラバラに踊っていたところは完全にシンクロしていく。1つ1つ形の異なるピース(個性)がうまくはまっていくような感覚。
ここで重要なシーンは以下のシーン。
シンクロの森 序章(1番)でこのシーン少し頭の片隅に残したまま読み進めてください、と書きましたが、ここに繋がってきます。
1番Aメロと同じ振り付けを、ラスサビで井上和と冨里奈央がしています。
1番Aメロではこのダンスで、初めての仲間との出会いを表現していると書きましたが、ラスサビでは別れを表現しているのだと思う。もちろん悲しい意味ではなく、先に書いた通り、現実世界でいつかまた出会うための別れの儀式のようなもの。
ラスサビダンスシーンが終わると、
葉っぱが舞い、冨里は現実世界へ。
そして、冒頭の”彼女たちは歩み始めた”へと続く。。。
まとめ
行ったり来たりしてしまい、ややこしくなったので簡単に流れを
1.これは乃木坂加入前の話
2.冨里奈央が乃木坂46アイドル人生(本)の第1章の内容と自身を重ね合わせる(想像(本)の世界)
3.期待や不安などさまざまな感情と、未来の仲間たちのことを考える。そして仲間であることをお互いに認識する(想像(思考)の世界)
4.未来の仲間たちとの別れと現実での再会の誓い(想像の世界)
5.最後のシーンで現実に戻った冨里が出会った仲間たちと未来へ向かっていく(現実世界)
おおまかに書くと、このようなストーリーだと思っています。
その他
・葉っぱは何を表しているのか
これは感情の全てだと思っています。入り組んだような葉脈=複雑=人の感情。楽しい、嬉しい、悔しい、辛い、苦しい、不安、期待、など人が抱くさまざまな感情や思考を葉っぱに例えているのではないでしょうか。
葉っぱを笑顔でみる画もあれば、不安そうな目でみる画もある。
私たちが新生活を迎えるにあたってさまざまな感情を抱くように、冨里奈央も乃木坂46でのアイドル人生をスタートするにあたって、入り混じった感情が全て乗っているのではないでしょうか。
・曲終了間際、葉の栞を本に挟んでいない理由
5:18で冨里奈央が手にする本に挟まっていたはずの栞がないのはなぜか?
時系列がややこしいのですが、曲終了間際で現実世界に戻ってくる前に"あるシーン"が実は存在しているのではないかと思っています。そのシーンは、6:15の葉っぱを手放すシーン。
2番の思考の世界で色んなこと(=葉っぱ)を考えてしまう。ただ、嬉しいことも辛いこともたくさんあると思うけど、またあの仲間たちと出会って一緒に踊れればいい。ある意味気持ちに整理がついたのように、あれこれ考えていたこと(=葉っぱ)を手放したのではないかと思っています。
逆にいうと、この葉っぱを介して、冨里奈央とメンバーのみんなはつながった(合わさった)のかもしれない(?)そして、また考えてしまうのだ。
・考える人と冨里奈央
考える人は地獄を見ている、という説がありますが本MVでは考える人は何をみているのでしょうか?
考える人と冨里奈央が向かい合うシーンが2回(1番と2番に1回ずつ)ありますが、お互いが見ているものは、
1番の本の世界では自分が主役になっていて、そんな自分自身と心と向き合っている。
2番の思考の世界では仲間を意識し始めることで、冨里奈央とそれ以外のメンバー(=考える人)と向き合っている。
(ここの映像表現の対比が美しすぎる!!)
・5期生とロダン館
本筋から逸れるが、ロダン館には次の作品群が並んでいるらしい
地獄の門を除くと、11個あります。それはつまり、岡本含め5期生の人数とちょうど同じ数になります。ここからは全然わからないのですが、裏設定として各メンバーに1つ、意味と役割を担っているのかもしれない。
(地獄の門の2作品を除く。9.女ケンタウロス〜の3作品を1つずつ割り当てる。)
さいごに
パターンBとして飛ばした、井上一ノ瀬川﨑、五百城奥田小川の2組に関して。
2番サビ前で川﨑と五百城がそれぞれ孤立しているところに、仲間が手を差し伸べるシーンが映されています。手を掴むところがアップで映すくらいなのでそこに何かしらの意図があるはず。
以前、人は夢を二度見るのnoteを書いたのですが、そこで
と書きました。このシーンはまさしくそれを表していると思っていて、彼女たちはすでに迷ったり困ったりしている時には手を差し伸べて導いてくれる行動をとっているわけです。乃木坂46を表現した動きを、私服シーン(乃木坂46加入前)の彼女たちがすでに実践をしていた。
つまり、わたしは次のように受け止めました。
彼女たちは、初めから選ばれる運命だった───。