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会話の単語のチョイスについて

人間はよく『反射的な類推性』だけを頼りに発話する事がある。

【例】

・ネットスラングに詳しい。尚且つそのスラングには特定の文脈が存在する。

・現実の会話の中で『文脈が似ている』というだけで、本来関係のないスラングを持ち出す。

・相手は大抵困惑するし、私の場合は既にスラングは認知しているが浅はかさ故にスルー。

↑一度は見た事あるだろう、この手の人を。自論だが『何も考えていないor言葉に関心がない』から、こんな事をしちゃう。

だが、どこまで糸をたぐっても言葉は結局『誰かの言葉』だ。スラングだろうが身内のだろうが学校のだろうが本のだろうが……自分で生み出した造語だろうが、そこには誰かの言葉がある。

少し小難しいが――

なんであれ、誰かの言葉には既に『おおよそ特定の文脈上の〜』が紐付けられている。その感覚だけを頼りに、文脈の類推性をサッと掬い、反射的に発話する。

↑この辺りに、『自分の考えかそうでないかの境目』が存在してる気がする。
たとえば『おやじギャグ』はボケ防止の為にほぼ無意識にやっているという説があるが、コレに近い特性。

『会話力低下を防ぐ為の、無意識の自己防衛が仕方なく代替案として【文脈の類推性からの反射】をしてしまう。その際に差し出すのは【持ち合わせの中で、ただ単に似ているような〜】程度のモノである』

なぜこんな事を語ってるかというと、会話してて『なんかコイツどっかで聞いた言葉ばっかりだな』って感じるとムカつくから。

ほんまにムカつくもん‼️

押す暖簾すら存在してねぇような気分になんだよ。空虚に当たる新兵器の開発はまだか? インビジブルバスターと名づけよう。

文脈やシチュエーションありきの無意味なカードの出し合いみたいな会話、楽しいか?

でも『誰かの言葉』から完全に逃れるのは不可能だと思う。じゃあどうするかというと……

意識し続けるしかねーだろ
『しょうもない反射』を止めると

↓たとえばこんな『嫌な奴』が居る。

・ニュースで何らかの犯罪が取り上げられている。

・『ハッ、○○(身近な人)と一緒だな』と発話。

これは『その実際の身近な人』が、同様の犯罪を起こしたワケでもないのに、勝手に類推性を見出し感情起因の勝手な決めつけで一緒にしているという構図。私的にはアウト中のアウト。

みたいな極端な例はさておき、自分自身がやはり意識し続けなきゃならん。

『この人が言ってる言葉、自分が今言おうとしてる言葉……一体どこから来たんだろう』

ってな。

更に『おやじギャグレベルのクソみたいな反射的発言や発想』を止めるだけで、会話が豊かになる可能性が生まれる。

もっと簡単に言うと『似てる❗️→言わなきゃ❗️』を止めること。じゃないと口には出さないが白い目で見るぞ。白い目で見つつnoteに書くぞ。

もし自分の言葉に関心があるのなら『ちゃんとしなきゃ』って意識が出てくるんよね。
ソレを大事にしようねってお話でした。

あっ、もっと簡単な方法があります。
『自分の感情に言葉を与える』って意識です。借り物で済ませずに、その場その場で作り出す感覚。

私が『会話したくないなぁ』って思う人は、この辺が下手なんだと思います。



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などと、なりふり構わず付けてる人。いや、どれ❓ ってなるし……多分アホなんかなって。

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