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公然わいせつ的ナルシシズム
他人のnoteを流し読みしていた。何やらアウトプットとして最近noteを始めたらしい。
【ざっくり概要】
この度は、心機一転ということでnoteでのアウトプットをやります❗️
『どうしていきなり? 頭おかしくなったの?』
と、思いの方もいらっしゃるかと――(全略)
もう冒頭でアウト。
お前の前提や経歴など大抵は知らないし、クソしょうもない部分で『頭がおかしい』と表現する気概と勘違い、滲み出るナルシシズム、狂人への憧れ、内輪への迎合、反応ありきの愚言……枚挙が匙を投げる不協和音のオン・ザ・パーティーナイト🎉
いかにもわいせつ的だ
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きっと彼の人生には、常に周りに自分に興味を持つ人が存在していたのだろう。当然の結果として言動の精査という感覚が薄れ、 有能な大臣で固めた王室の中で裸踊りをしているという事実に気がついていない。
その圧力とダンス力により率直な解釈を持つ者は排斥され、次第に様々な目を容認する勇気は削がれ、確実に好反応をしてくれる対象のみに思考が歪み、村八分状態からグローバルに向けて着々と衣服のボタンを外すようなnoteを書いてしまう。
いかにもわいせつ的だ
いいか?
まず私たちの頭ん中ってのは、あまりに抽象的。浜辺の白波のように、正確に言葉で説明できるシロモノではない。故に印象化や単純化されたまま、解釈の道を辿り受容され格納されている。そして様々な契機により再び解釈が格納庫から選びとる――それを各人が相応の表現手段により表現し具体化するのだ。私の場合は文章だし、確かにアウトプットとも言える。だがそれをしたとて、頭がおかしいと誰が言えよう。このありふれた行為が、どうして狂人の範疇なのか。加えて『お前の記事を読んだほぼ全員が「頭がおかしいと思う」前提の物言い』をしている……これはわざわざ人間を画一化し舐め腐っている態度。独善的に反応が一つに絞られている。こういう部分が一人相撲で、ナルシシズムなのだ。そんなわいせつをアウトプットするのは意義が不明だし、頭がおかしいと思われて満足すんの? 大丈夫だよ心配すんな結果的に村八分の立場なんだからさ。私は文章という具体化と普段の抽象をしきりに往復して自己認知能力をなるべく明確にして中庸を目指す為にやってんのね。観念的に新たな土台が出現し、立脚しつつ更に具体と抽象を目指す。そんでそれを実感すると恍惚の溜め息を静かに漏らすのね。つまりこれも一人相撲/一人アウフヘーベンであり、具体と抽象を敢えて対立の要素であると見做す遊びであり、自己満の産物で――
いかにもわいせつ的だ
(๑•ૅㅁ•๑)『お前もか』
🔔『しかもなげぇよ……』
この継続の中に、飛躍やブレイクスルーが待っていると期待しているのだ。
だが印象という抽象に先手を打って『この記事を読んだ者は私を頭おかしいと思う』……を前提とした場合、途端に全てがおかしくなる。その意図が何を引き起こすかに全く思考が及んでおらず、簡単に得られる大臣からの賛同程度しか想定されていない。その旧態依然は手短で刹那的な安心しか生まず、飛躍の可能性は極端に落ちると少し頭を巡らせれば理解できると思うのだが、ぬるま湯で半身浴をする文化の中で育ったのでは致し方ないとも言える。簡潔に表現すると『ね、ねぇ。私のコト……どう思ってる❓』みたいな態度がキショいんだよ。
……ので、最後にひと言。
『うん、確かにお前は頭おかしいかもな。よかったじゃないか、目論見通りの印象をいただけて』
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