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【短編】私の内臓はきっと綺麗

『内臓清掃代理店……か。一体どんなお店なのだろう行ってみよう』

「いらっしゃいませ。当店のご利用は初めてですか」

『おおよそ』

問診票に苛烈なキスをしながら待っていると、生まれた時に勝手につけられた名を呼ばれた。

「こんにちは。早速ですが代理清掃を始めます」

こびりついた笑顔が特徴の先生が黄色い高圧洗浄機を稼働させ、おもむろに自分の口に突っ込んだ。

「おぼぼぼぼぼぼ」

『おぉ』

無事に施術が終わったようだ。

「念の為部屋中にビニールシートで養生、よかったです」

『わかります』

「では来週の……水曜、水曜日ですね、よろしくまたお願いします」

ロビーに戻ると、水道の蛇口を閉めるよう高圧的に指示する先生の声が診察室から漏れた。

「¥28,000になります」

『保険適用外だったのか』



週末、仕事の用事で海外に来ていた。隙間時間を利用し、言語の違うデパートのガラスケース内にある腕時計を閲覧していた。

「สวัสดี」

『お前あの……べつに私は』

「นาฬิกา Rolex ราคาถูกแล้ว」

『精巧な機械運動の果てに知れるのは時刻だけという代物に興味はない』

私はサワディークラップと言いながら手を叩き、可能な限りの笑顔で退店した。

『This one……This one……』🍩

無性に甘いモノが食べたくなったので(仮にそれがたどたどしいとしても)ドーナツを注文していた。店員は慣れた手付きで紙袋に詰めてくれた。

『これどうですか。ドーナツを買ってきました』
「お、あぁ、後で食べます」

紙袋は雑にビジネスバッグに放り込まれた。あの状態で海外の酷暑に耐えられるだろうか。



塚本という男が仕事の対談の終わりに、二歩も三歩も身をひいて相手を驚かせた。弁明として『大きな蜘蛛が居た』と済ませたが、あの一瞬のビジョンが心臓の鼓動を高め続けた。

『気のせい……いや、確かに……』

繁華街を歩きながら逡巡する。
相手に握手を求められた際、その手が剥き出しの機械に見えた。座っていた椅子が倒れると同時に、通常の皮膚に覆われていたが。

塚本は気にも留めなかったが、彼の心臓は律儀な一定のテンポで元に戻っていった。中華料理屋の油ぎったリノリウムの床が、妙に不愉快だった。

「忘れてますよ、お釣り」
『ああ、すまない。おいしかったよ』

纏わりつく熱気にうんざりしていると、店内から野球中継に対する盛り上がりの声がした。本社の周りに近づくと、冷徹なビジネスマンの足早な動きがやたらに目についた。

あるいは、街路樹の葉の揺れさえも。



『ガソリンを抜いてください』

「ウチじゃあできんよ」

『引っ越し業者からの要望なんです』

一度も利用した事のない小さなガソリンスタンドの店主は、ふてぶてしくも親身な態度をみせた。

「あっちの大きいトコでやって貰いぃな。ワシが案内しちゃるけ、押して着いてきぃ」

途中立ち寄った墓地には、歴史的な偉人が奉られているらしい。引き続き退屈な話を聞いていると目的地に着いた。店主は片手を挙げながら、無言で雑踏に紛れ消えていった。

『引っ越すのでガソリンを抜いてください』

「かしこまりました」

バイクのタンクが空になった実感のないまま、アパートに戻った。部屋でタバコに火をつけると、白々しい雪が舞い始めた。やがてこの部屋も、誰かの所有物となり埋められる。

黄ばんだ浴槽を掃除する気力もないまま、二本目に火をつけた。



『先生が好きです。先生じゃないとダメなんです。先生の居ない生活は考えられません』

卒業を控えた春、溜め込んだ想いを伝えた。じっとりと張り付いたかのようなその背中は、長い間小さく揺れていた。

「如月……」

私の名を呼びながら先生は振り向いた。でも、その顔は先生じゃなかった。重大な何かを捨て、間違えた決心をしたかのような。
恋ではなく、立場と立場が相克を生み、勝手な思い違い、将来、笑顔。

『違うんですごめんなさい。先生は奥さんとも仲がいいですもんね。私は罰ゲームでウソをついただけです』

勝手だけど……勝手だけど私は走り去った。三年間毎日着ていた制服は、こんなに重く、こんなに肌に擦れるモノだっただろうか。

きっと……そっか。
『それしかない』って思い込みは、無数の自己正当化の種になる。

桜が散る頃、渡り廊下で一瞬だけ先生と目が合った。

すれ違い数歩進むとお互いにもう、舞い落ちる花弁に視線を移していた。ガラス戸に映るその背中を見ていると頬に温かいモノがつたった。

優しい風と共に、音が戻ってきた。いつも早起きして結った三つ編みは、今日で最後だろう。

……


『先生!!』

『もしかしたら私! 待ってるかもしれませんよ!』

……

……あはは。
全部、狂ってしまえばいいのに。



内臓さえ綺麗になったら、きっと私は。

内臓は一定時間数、確かに存在していますが――

時期が早すぎる、取り返しがつかない。

この二つの矛盾した感覚の中、居心地悪く体内空間にとどまっている。

両手がいくつあっても足りない宇宙で、取り残された星のように。

『ここ』から私は、内臓を通して様々な戯曲を見せられる。

誰かが代理を果たそうと躍起になっているが……まだきっと、早すぎるんだ。

広い広い宇宙空間に、全てを知った劇作家のため息が微かに響いた。

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