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犬の眼前でデコピンを連発してしぼむ眼の様子を楽しみます
AIになんか聞こっと❗️
え? 有料……?
無料トライアル(気づかぬ内にお金取られるヤツ!)
そっか調子のんな❗️
やーめた❗️ ごはははは❗️
あたしわ……笑
自分を信じるっ……‼️笑
はぁ〜……めっちゃ怖い夢見た。
身近な人が死んだ後の世界を痛感させられる内容ネコ🐈
つーか冒頭の文字列めっちゃ頭悪そうだな。あ……事実か。しかし創作行為における『精神の退行』が有効に働く根拠が何処かで示されていた筈。
……📱
ユングは、退行には病的でないものもあると考えた。というよりも、創造的な心的過程には退行が必要である、と考えたのである。
すべて創造的なものには、相反するものの統合がなんらかの形で認められる。両立しがたいと思われていたものが、ひとつに統合されることによって創造がなされる。
これを心理的にみてみると、まず心の中に定立するものがあり、それに対して反定立するものが存在する。そこで、その片方を抑圧してしまえば簡単な解決が得られるが、それは創造的とは言えない。
そこで、自我はその両方に関与してゆこうと努力すると、自我はどちらにも傾けないので、一種の停止状態におちいってしまう。
ここで、自我をはたらかせていた心的エネルギーは退行を起こし、無意識内へと帰ってゆくことになる。このような退行状態になると、この人は外見的にはただぼんやりとしているだけであったり、幼児的なばかげた行動をしたりする。
ぶらぶらとしたり、ときに、いらいらした気分に襲われたりする。しかし、無意識内においては仕事が行われていて、自我のそれまでのはたらきと無意識のはたらきとが統合され、定立と反定立を超えた、統合的なシンボルが顕現されてくる。それは創造的な内容をもち、それに伴われて心的エネルギーは進行を開始し、自我は新たなエネルギーを得て活動する
あった❗️
🔔『なっがい引用だなぁ……』
これは『自分の中の矛と盾が停戦状態になったが、実はテーブルの下ではひっそり足で喧嘩しており、しかも傍目からはバレバレであり、しかも創造には有効だった……お得❗️』って内容かな。
続いて【シンボル】の有用性について書かれている。そしてシンボルが言語化されると効力を失い、自我の眼に晒されてしまうと。
私たちの心にシンボルめいた何かがあるだろうか。民族性に倣い、冷たい眼で無宗教を気どってしまってはないだろうか。そして宗教等の悪い側面ばかり集めたステレオタイプを持ち合わせていないだろうか。その流れでシンボルについて考える隙間さえ残されていないのではないか。
「今日われわれは、一九世紀が予感すらできなかったあることを理解しつつあるのである。つまり、シンボル、神話、イメージが精神生活に必須な資であること、われわれはそれらを偽装し、ずたずたに切断し、その価値を下落させることはできても、根絶やしにすることはけっしてできないということを学びつつあるのだ。」
せやな。自転車を順次解体していって『もうコレ自転車と呼べないよ……』って地点になっても『自転車を見た私は居る』的な? そして誰もが自転車の素晴らしさを既に知っている。社会は変容したが、今こそ自転車派の復権を❗️ 的な。
だがバイク促進派が調子に乗り、啓蒙の旗を掲げ自転車派を抑圧する。けど犬の躾にしたって、人間への教えにしたって『ダメでしょ!』ばかりではよろしくないしな。ビジネスマンだって『異なるアイデアを結びつける』のが大好きだ(ステレオ)
で、我々の中に『ほんまにダメな事(抑圧)』がどれだけ具体的に普段から意識されとるかって話よ。パパッと言えるかな? 私は面倒そうな作業だからやらないが、感情でコロコロ変えちゃいけんのは分かる。
う〜む……的確な表現はないだろうか。
……
心の中の天使と悪魔両方に右ストレートを喰らわし、土下座する❗️
中々許して貰えなかったけど、許されたし以前よりパワーアッ🅿️❗️
って感じかな。
🔔『へぇ……?』
自我と天使と悪魔の鼻血で結果的に創造的! しかもシンボル! みたいな。
本では続いて『夢』について触れている。Kindleはコピペに限界量が設定されてるらしく、引用は控える。
ある女性が見た夢で、シンボルを白日のもとに晒すか、暗闇に安置しシンボルの神秘性を守るか……のような選択を迫られるのだ。そして彼女は暗闇を選んだ。まるでソクラテスのような生き様だな。不知の自覚と暗闇は似ていないだろうか。
……まぁ多少難しそうだな。抑圧を避け、両方を立て、尚且つキャパオーバーし、退行や無意識に向かう――か。
それに相反してんだよなぁ。不知の自覚的な手探り的な態度と、言葉にしてはいけないシンボルを持つ……は、喧嘩しそうなんよね。だってさ、手探りを続ける内に『シンボルに意味を与えてしまう可能性』に辿り着くかもしれないじゃんか。
が、だからこそ『停止▶︎エネルギー発生』が起こるのだろうな。時折、無性に支離滅裂に浸りたい衝動が湧くのもソレなんだろうな。