1. ベルギーでの生活を始めて2年半──変化の日々
ベルギーに越してきてから2年半ほど過ぎました。
今まで、一生懸命、「自分は変わらなくちゃ」と思っていたんです。
「日本とは全く異なる環境で暮らすために、順応しなくてはならない。」と思い込んでいました。
2. 異国の地での生活に向き合うということ
文化が違うのだから、暮らしていく中で、当然「なんで」「どうして」と思いことがたくさんあります。その度に、「郷に入っては郷に従え」と自分に言い聞かせました。
本当に日常のちょっとしたことなんですよ。
スーパーマーケットのレジ係の人が、バーコードをレジに読み込ませて、商品をさっと放り投げる。食べ物なのにね。人のものなのにね。商品なのにね。
二人が並んで歩いたらギリギリの歩道で、向こう側から二人で横に並んで歩いてくるから、こちらは一列になるんですが、向こう側の二人はずーっと二人で横に並んだままで歩いてくるでしょう。結局、こちら側が諦めて、車道に降りるんです。でも、向こう側は氣にせず並んだまま過ぎていくんですよね。こっちが車道に降りなかったら、どうなっているんでしょうかね。
自宅近くに小学校があるんですが、朝と夕方は送り迎えの保護者の車でこの付近は大渋滞になります。近隣に路上駐車するわけなんです。まぁ、それはいいでしょう。法のもとに認められている路上駐車なんですから。しかしながら、先日、ちょうど小学校の下校時刻と同じ頃に自宅に帰ってくると、なぜか他人の車が、わたくしの専用駐車場に停まっているではありませんか。他にも何台か、アパートの居住者専用の駐車スペースに入ってきて、駐車。保護者は校門まで子供を迎えにいき、その居住者専用駐車場を出ていくんですよね。わたくしの車の専用スペースが占拠されていて、停められないんですけど。
他にもいろいろです。
信号無視は当たり前です。だから車を運転するのがとても怖いんですよ。
電車やバスなどの公共交通機関がストライキになるなんて当たり前で、それは労働者の権利だからいいんですけど、あまりにも多すぎます。経営者は何を考えているんだろうか。
などなどなどなどなど。。。キリがないんです。
3. 自己変革を求める意識
でもね、不満ばかり言っていたら、暮らしていかなくてはならないんだから、慣れなくちゃならないんです。そういうことが普通だと思えて、何も感じなくなるくらいに。
そう、「自分は変わらなくちゃいけないんだ。」
で、変わる努力をするわけですよ。
街を歩いているときに向こう側から歩いてくる人を避けて車道に出ては、「これが普通なんだ、これが普通なんだ。悪氣があるわけではなくて、そういう文化なんだ。」と。わたくしが車に轢かれても仕方ないんだと。
スーパーマーケットのレジで自分の買った商品を放り投げられても、「これが普通なんだ。そういう文化なんだ。慣れなくては。」と。
赤信号を平氣で渡る自転車に冷や汗をかきながら、「法は破るためにあるんだ。それが普通なんだ。」と。
歩道で堂々と飼い犬に糞をさせてそのままで立ち去る人々を見ながら、「これが欧州の日常なんだ。普通なんだ。誤って踏む奴が悪いんだ。」
4. 順応という名の自己否定
それで、今でも街に出るのが苦手で、買い物するのも嫌いで、電車やバスに乗るのも苦手なんです。こちらの車の運転免許はあるものの、怖くてなかなか運転できないんですよね。
- 「そんなふうに感じている自分がダメなんだ。変わらなくてはならない。」
「変わらなくてはならない」と自分に言い聞かせていたら、なんだか自分がダメ人間のように思えてきてしまったんです。
「なぜ自分にはできないんだろう。」と。
すると、「ダメな自分」「できない自分」と、負のスパイラルへと陥ってしまったんです。
5. 気づきの瞬間
そんな暗い暮らしをしばらく続けて、あるとき、ふと氣がついたんです。
「だって仕方ないよね。自分がそう感じてしまうんだから。」と。
自分にとって嫌なことに出くわして、「なんか嫌だな」って思う感覚は、自然に湧き出てくるものだから、仕方なくないですかね。
自分にとって怖いことに出くわして、「なんだか怖い」って感じることは、悪いことなんだろうか。
なぜ自分が感じるこの感情を否定しなければならないんだろうか。と思ったんです。
ありのままの自分でいいんではないだろうか。
わざわざ変える必要なんてないんではないだろうか。
と思ったわけです。
その上で、「嫌だな」「怖いな」と思ったときに、その感情とその現場の事実とどう向き合うべきなのかを考える方が健康的ではないのかと思うわけですよ。
6. その後の変化
「ダメな自分」だと思い込んでいるとき、「自分は変わらなければならない」と思い込みます。
過去生に問題があるのではないか。
自分の育ってきた環境が悪いのではないか。
潜在意識の書き換えが必要なんじゃないか。
しかし、今、思うんです。
そんなことどうでもよいことではないかと。
今ここにいる自分が、自分の全てなんだと思うんです。
人間だから間違うこともあるし、反省すべきことはもちろんあります。しかしながら、自己否定をするところまで踏み込む必要はないと思うんです。
過去生に問題があったら悪いんですか。そんなことないでしょう。
自分の育ってきた環境が悪かったんですか。だからなんなんでしょうか。
潜在意識が悪い影響をしているんでしょうか。だからどうだというんでしょう。
過去生も育った環境も潜在意識も、それらがどんな状況であるにによ、全ては自分を形成する大切な部品だと思うんです。それらと向き合い、大切に扱うことで、より良いライフスタイルが見出せるような氣がしています。